呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

92投稿のなかの、8セレクション

 

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投稿数は92。せっかくなのでお気に入りをまとめました。∞っぽいからってゆう中二くさい理由だけで、8本選んだ。先に言っておくと、まあまあ長いので時間があるときにぜひ!

 

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いちばん直近で久しぶりにヒヤヒヤしながら投稿したやつ。なんとブログ内でいちばん読まれているらしい!おしり丸出しみたいな写真添付してるのにね!あーらら!個別メッセージを何人もくれた!ありがとう!ハグ!

 

 

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検索エンジンからアクセスされてるのはだいたいこれ。要はみんないそいそ検索している。エロを。ただエロ要素はない。4年前の私、思い切ったことしてるねーって思ったけど、今とそんなに変わらんかも。

 

 

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あんまりはっきりは書けないけど、これを投稿したことでがっつり状況が好転しちゃったやつ。方々からの共感をいただいて、この時の私がどんなに救われたか。

胸を張って言えること、私は今日もアダルトチルドレンのまま。これからも、向き合い続ける。過去や誰かを赦すことは自分を赦すこと。

 

 

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懐かしい未来を辿るような、不思議でうつくしい感覚は、たまにギフトのようにやってくる。そんな瞬間は、目を凝らしてくまなく拾っていたい。

 

 

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生きて25年ぽっちによる、愛についての考察。人間の感性や脳の成長は25歳ぐらいまでが節目らしい。んーいまもあんまり変わってないかな。いろんな経験させてもらったよって、過去の私に報告したい。

 

 

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どこまでも楽観的だと人に思われることが多いし、自分でもその要素は強いと思う。ただ、根本がかなり根暗なのは、書いてきたものを読めばわかる。原動力は、いまだに変わっていない。すこしのメンヘラマインドが、字数を増やす。

 

 

 

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初めてSNSにブログの存在を投稿した日。うんうん、きょうもだらだらと私は私を露出しているよ。もはや露出が性癖みたいになってるよ。でも生きてるよ。

 

 

自分をさらけ出していくところに、武道に通ずる修行になっている。-

 

とある方のブログで見つけた、この一文に超同意。振り返ってみたら辿ってきていた修験道。えっ、なんかかっこいい。気づいたら修行って、僧侶やん。僧侶(送料)無料やん。 

読んでるよ とか、書け って言ってくれる人たちのおかげでこうして公開できています。勝手に自分をさらけ出しておきながら、いつだって何かを失ってしまうのではないかと怖い。息をしだして28年ぽっち、偉そうに自分のことを語ると、それなりに傷つくこともあった。その時にできなくても、ちゃんと傷ついた瞬間を認めて、自分で慰めることができた。それを書くことが、私なりの、昇華。

 

最近はもっと長い文章を書いてみようと、小さな挑戦をしています。いまは13,760字。人に見せるかどうかすら怪しいけど、必ず書ききろうと思っています。

 

サア、お風呂にはいるぞ!!

桃尻をめざして

 

何事も大げさなネーミングが大好きなわりに3日も続かないことがほとんどなので、坊主にすらなれない。

その中で書くことは、ほんとにめっちゃ貴重な、続いてること。

 

冬の朝にサンダルで散歩する「シリコンバレーの意識高いCEO朝活ごっこ」も、確か2回で終わった。

朝から足元を刺激して確かにいい気分だったけど、シンプルに布団の中のほうがいい気分だと即座に悟った。布団で即身成仏。

 

ステイホームも徐々に緩和されつつあり、夏ももう目の前。

 

おしりから羽みたいな葉っぱがのびている、バーミヤンみたいなおしりになりたい。

昨日そう思いついてしまって題して、「バーミヤン尻24時」。

 

 

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YouTubeで美人がやってる尻トレーニングを3個やった。

めちゃくちゃ体育系の学校いって奨学金払ってるくせにワークアウトとかソッコー辞めた新卒のときぶり。意味わからん。

効果てきめんで今日の私のお尻は体感「こぶとり爺さん」みたい。YESバーミヤン

 

給付金の申請書式は未だ届かない中、おしりだけでなく持ち前の寝てても増える産毛も気になってくる。

いそがしい。急にいそがしくなったきた。

地黒なのをいいことに、心の中で美容室の謳い文句みたいに「外国人風産毛」と自分を納得させるのが私とゆう人間。

その根性を叩き直してから「来世は田中みな実」と言え、と我ながら思う。

さすがに私でもわかる。田中みな実こそ、努力の鬼くさい。

夏場は多少気にするので、そろそろ「家庭用レーザー脱毛器ケノン」の出番である。

ケーノンノンでケノン。じわる。

分割払いで買ったくせに、冬は勝手にシーズンオフにしている。脚出すの寒いし。

家庭用だから威力は弱いけど、その気にさえなればいつでもできるので、今日から極端にレーザーを当てまくりたいと思う。

 

田中みな実マインドであれ。まるで憑依したかのごとく、田中みな実る。Be 田中みな実

 

阪急梅田の化粧品売り場にあしげく通う予定は全くない。

サンローランのギラギラのリップも、トリーバーチのパンプスも、グレースコンチネンタルのお弁当入れにしてもめんどくさい鞄も買う予定はない。

かと言って、シロもジョンマスターオーガニックも、イソップも違う。女子に伝われ。

ブランドもの、カジュアル、地黒、ときたら一筋に光るロンハーマン、、。 

愛用の石鹸以外のロンハーマンアイテムを一切買わずして、ロンハーマン臭くなりたいと思う。

地黒でありつつも、唐揚げみたいなボアのフリースもいつか着こなしてみたい。

いまのところ妄想ではマジで似合ってないけど。

 

長く私と付き合ってくださっている人ならわかると思うけど、私はこの何年かでめちゃくちゃ顔が変わっている。

ばっちばちの一重やったのに、極端に二重になった。整形はもちろん、アイプチもしたことはない。

成長から老化に主役が変わり、瞼の脂肪が落ちたことと、心の持ちようがめっちゃ変わったことが理由だと思っている。

化粧は気が向いたときしかしないので、私の写真はほぼすっぴん。

なのにめちゃくちゃ変わってるからおもしろい。

 

ということでいままでが自然工学だったなら、これからは人間工学的に自分と遊んでみたい。

 

 

とりあえずバーミヤン尻から!

三日坊主をめざします!うっす!

 

 

 

 

ライフ イズ プレゼント

 

ここ最近は書けるネタはないものかとぼんやり浮かんでくるのをひたすら待ってたんやけど、まあ、ない。とりあえず書いてみる。

ネタがないのはいい意味で試行錯誤する感情と距離が置けていて、毎日キティちゃんみたいな気持ちやからと思う。

「体重?りんご3つぶんヤデ★」とか言い出してしまいそうなくらい、穏やかな日々。

電車の車窓に映る自分の目元が穏やかすぎて、自撮りした。笑える。

 

この状況にやっと順応できつつある。いい意味で諦めがついたこともある。

世界中で様々な断捨離が起きている最中、心配事など考えればわんさか出てくる。

ごみ捨てに行ったら、近所の腰の曲がったばーちゃんが「ごみだけは増えるわあ」と笑いながら言っていた。

戦時中から今日までを生きてきた人は強い。

 

この疫病は戦争だと言っている人もいる。

実際に経済に及ぼす影響は、戦後と同じくらいだったりするらしい。

ネカフェ暮らしを追い出され、仕事もなく公園暮らしを3週間余儀なくされている方の記事も読んだ。

ありがたくも、私は今日も働くことができている。

だからこそ言えるのかもしれないけど、この疫病は戦争なんかと全然違う。

爆弾が降ってくるわけでも、大切な人に赤紙がやってくるわけでもない。

できないことは増えたけど、「おうち時間」なんて言えるぐらいの状況の人が戦争と言ってしまうなんて、いま生きているこの瞬間がもったいなく思える。

ここ最近は、そんなことを母とよく話している。

母はサービス業で自宅待機真っ最中なので、この先はどうなるかわからない。

しかしながら長年できなかった祖母の遺品整理にとりかかったり、ドラマ観まくり3時就寝12時起床の昼夜逆転を極めている。

先週末はケーキを1人3個ずつ買って食べた(母ダイエット中)。なんと健やか。

毎日生きることを全身で楽しんでいるように見える。

 

この星に住む者として、今は静かに過ごすことが最優先。

でも、いつ死ぬかわからないのはいつだって同じだった。

Presentは「今」と訳せるように。

 

生きている限り、人間は生きる意味を探す。

本当は生きる意味や使命なんてなくてもいいと思う。

でも私もそうであるように、いちいち意味を求めてしまう。

私は身体や心からどうしようもない感情が溢れ出たとき、「生きている」と感じる。

その感情は、美しいときも醜いときもある。

心が震えたときは、きっとしっかり命を使っているのだと思う。

 

「生きてるだけで丸儲け」とさんまさんが言うならば、

「生きる意味を感じてる私、最最高」って感じかな。

 

 

生きる意味、あの人にだけ話したけどこれは美しすぎるおしゃべりなのでひとりじめする。

 

 

私もあの人も、みんなみんな神。(雑なクロージング)

 

 

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#内で躍ろう

 

※一世を風靡している例のウイルスちゃんのことがでてきたりします。

「センシティブなう」な方は、そっとリターンしてください。

 

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この二か月で、世界は変わってしまった!

色んなことに取り乱して、泣いたのが先週のこと。

この状況を飲み込めず、しんどい人がたくさんいる。

マックシェイクを10年ぶりくらいに飲んだら、甘すぎる劇薬で脳が溶けた。

考えることを余儀なく中断された。完全にキマってたと思う。

 

一昨日の朝はっと思ったこと。

これからは、この生活が普通になるのだと。

クラブも、映画館も、飲み会も過去の遺産になるかもしれない。

そう思ったら逆になんかすっきりして、新しい普通をぼんやり考えた。

会えない、ハグができない、もどかしすぎる。

もしかすると未来の人間は、会わずともラブパワーを送って同じ交流ができるのでは・・・とかね。

ネガティブからのポジティブ思想。

 

と、気持ちが落ち着いたのも束の間。

昨日は緊急事態宣言がでる雰囲気と、満月にかなりやられていたらしく、仕事終わって帰宅するなり身体がめっちゃ軽くなった。

しゃぶしゃぶがおいしくて、「おいしー!」って半分発狂しながら食べた。

それから、好きな人たちとコミュニケーションをとることに没頭した。

こんな時だからこそ会いたいのになとか思いながら、オンラインの恩恵をフルに受ける。

クラブや飲み会のグルーヴ感が恋しい。

 

ずっと関西在住の私にとって、いちばん自分事な災害が昨今である。

阪神のときは小さすぎて覚えてないし。

色んな天災を乗り越えてきた先人、まじすげーと思う。

シンプルに、いまこうして生きていることをプレゼントに思う。

「大好きだからこそ会わないよ」と、「大好きな人に会えない世界なんて」の自分がいる。

創造神ミユと破壊神ミユ。

風神ミユと雷神ミユ。

この相反した気持ちを味わうことが、きっと人間ごっこなんだろな。

そう思うと、ぜったい生きたいし、いつ死んでもいい。

どっちも本心なのだ。

私もあなたも愛されている。だたそれだけが色んな形となって目の前に現れる。

新しい物事は、破壊や手放すことから生まれる。

それがこの世界のすべてな気がする。

 

とか言いながら昨日もずっと半泣きやったし、仕事中以外はとにかく情報を遮断している。

腰は痛いし便秘にもなるし、今朝は嵐を聴いたら泣けてきた。我ながらやばい。

もしゆずで泣き出したときは末期である。

顰蹙を買うかもしれないけど、私はゆずが無理だ。

「栄光の架け橋」がこんなに流行るなんて、世の中おかしい。

みんないろいろ我慢しすぎなんちゃうかと、本気で思ってしまう。

極めつけはこの最中、お互いをスペシャルだと言い合っていた友達とケンカして絶縁状態にある。

ただこの現象たちを、軽々しく「悪い」と評価してやるべきでない。

何かの最終章なのか、序章なのか、はたまた箸休めなのか。それはわかんない。

友達とは、それぞれに自分の気持ちを尊重した結果こうなったと思っている。

何よりも大事にすべきなのは、自分だから、きっとこれでいい。

互いに、人に自分を傷つけられることを当たり前にしていない証拠。

なら、それもそれでいいじゃないか!

もしこれ読んでくれてて、またむかつかせたらごめん!でもこれが小生です。

またタイミングがあったときは、思いっきりビンタします。だからしてください。あたしにも。

気を遣ったら即死ってプリミ恥部は言っていた。

 

コロナちゃんによって、みんな足元の生活を見ざるを得なくなっている。

いつ死ぬかわからないことは、今までもこれからもずっと同じだった。

そんな当たり前のことを、まざまざと目の前で突き付けてくる。

やっぱりコロナちゃんは、ギフトなんじゃないかとも思う。

どうしても「外向きの自分」が主役になりがちの現代社会。

半径3メートルに立ち還って、何もかも味わいなおしたい。

意味のないことなどない世界で、意味のないことばかりして生きていたい。

げらげら笑った直後に、「はて、何がそんなにおもしろかったのか・・・」って言ってたい。

大事な人を、そんな気持ちにさせたい。

辛いときに頼りになるのは、ユーモアと音楽。

別にこの状況を乗り切るわけでもなく、ただげらげら笑って穏やかでありたい。

人生は、喜劇だ。

うまれて28年ぽっち、そう思います。

 

 

うちで踊れば、内も躍る。体は素直だ。

 

 

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今朝は通勤前に3分だけしゃぼん玉をとばした。

✴︎2020年プラハの春

 


プラハの春は1968年ですけど

2020年にもおきました

そうついこの間のこと


じつは 国の名前なのか

街の名前なのかも しらなかった

しらべてみたよ チェコスロバキア

 


ビニ傘さして向かったサイゼリヤ

雨のにおいはもう春だったね

 

 

実はついこの前 初めてたべた

イカスミパスタ

 


おなかいっぱい

こころもぎゅーっといっぱい

手探りでおみせをでてみたら 雨があがってた

 


ほわーっとあかるい曇り空

アスファルトにおっきな水たまり

 


世界がますますかがやいてみえたのは

雨が上がったのは

プラハの祈りのおかげ

 


うれしくて 気づけば口角あがってるあたし

 

あれ、またあたらしい自分に出会った

出会わせてもらった

 


プラハがだいすきなあなた

江國香織作品超えの景色をみせてくれる

いとおしいあなた

ありがとう。あいしています。

 

 

吾輩はクィアである

 

こんなことをいちいち書くのもバカらしいとおもう反面、

ぶっちゃけてしまいたい性癖が勝った。

しかもなんでもない日にさらーっと。

今日の私の心にはミーガンラピノーがいる。

要は、フェミニズムマインド全開モードなのです。

 

きょうはなんでもない日、

吾輩はクィアである。

 

クィアを知らないあなたはこっそり検索しておいで。

こーゆうこと?はそーゆう人?と一緒になるときに報告?するものなのかとも思ったけど、

あたし自身のことやしそんなん関係ないわとフェミニストミユが言う。

要は、あたしは全性愛である。

 

なんとかセクシャルって呼ぶやつだとパンセクシャルになる気がしている。

でもこのセクシャリティのジャンルは「LGBT」以外にしぬほどあるので結構どうでもいい。

ただ、人にわかりやすく説明するならば「この人がすき!」という気持ちに、身体の成り立ちでフィルターをかけることがないということ。

つまり、世界中の誰にだってラブな気持ちになる可能性に満ちているあたし。

めちゃくちゃ最高である。

 

恋愛遍歴を詳しく書く気にはならないのだけれど、「恋愛はメンズと」という私の中の常識が覆ったのは、大人になってからだということだけ補足説明しておくね。

 

子どものころから気づいてたとか、思春期にうんぬんとか、そういう方ももちろんいる。

でもそんな早いころからシュッと自分を理解して、位置づけすることのできる人は、クィアの人のうちのどれくらいだろうか。と「当事者」は、おもう。

フェミニストミユに言わせると、「LGBT」も、「マイノリティ」も、「レインボー」も、どこか疎外感があるような。そりゃ人たちに周知して、あるべきはずの権利に気づいてもらわなあかんのやけども。

LGBT」というパワーワードが、時に「当事者」の愛を霞めるのでは、、とおもう。

たしかにポケットにしっかり持っていた愛を、急にカテゴライズしろと言われる。

 

はて、、、 

愛は、そんなに簡単なのだろうか。

 

これが私の言いたい、疎外感。

だって異性愛はわざわざ「私は異性愛者やねん」とか言わへんやん。プープー。

 

マイノリティと言われる人に対して、同情はいらないとおもう。

マイノリティはアイデンティティの一部であり、あたしを纏うファンションのようなもの。

言うまでもなく、これはあたしが言っているだけのことなので、それぞれに求めはるものはちがうからね!

あたしはただ道端に喫茶店があるかのように、扱ってほしい。道端に喫茶店があることは、誰もが想像しうるシチュエーションでしょ?

いい感じなら入ってみればいいし、ピンと来なかったなら素通りすればいい。

日常の友好関係も、こんなニュアンスで築かれているはず。

 

だからこの文章を読んだあなたが、「喫茶ミユ」に入るかどうかも、フリーダム。

こうやって自分を晒していくことは、すごくストイックに見えるかもしれないけれど、逆にあたしのことを好きでいてくれる人だけが残るので、ストイックの恩恵はすごいのです。

もちろんこの記事の、「全体に公開」のタブをクリックするときはめちゃくちゃ緊張するしこわい。

 

でもひっそり隠したりして、生きていってほしくないから。

あたしにも、あなたにも。

I AM THAT I AM やんか。

 

もしこれを読んでいるあなたが、孤独だったらあたしに教えてほしい。

あたしに、ハグさせてほしい。

別にセクシャリティのことなのかとか関係なく、あなたの琴線に触れたなら。

 

 

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 ちなみに「琴線」を、“きんせん”って読むのさいきん知った。ずっと“ことせん”って読んでた。

 

 

Love is Love.

 

 

 

私の頭の中の茨木のり子

 

茨木のり子との出会いは高校のとき。担任が「自分の感受性くらい」を教えてくれた。 

「自分の感受性くらい」

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 

 

あまりの正論さに「ほんまやん!自分の気持ちなんて自分で世話せな!」と、圧倒された女子高生ミユ。

なんどもノートに書き写したり、部屋に貼ったりしていた。

この詩のおかげで、ややこしい家族環境の中でもグレずにいれたのかもしれない。「自分の感受性は自分で守れ」と言われ、第一次ビジネス本・心理学本読みまくり期到来。全日本女子バレーの柳本元監督の著書で、PDCAサイクルを初めて知り目からうろこ。

何事もノートにPDCA順に書いて回していけばいいことを知る。部活の顧問の指導方法にも「PDCAコーチングすりゃいいのに」などと内心思っていたかわいくない女子高生ミユ。

 

勉強はほとんどしなかったけど、地頭だけは変に大人になって反抗期すらなかった。純粋なふりをして、世の中の大人を斜に構えて見ていた。思春期は家族の様子を見ていることでいっぱいで、自我を通す余裕なんてなかったのもある。

ネガティブな感情を人前で出すことを早々に封印してしまっていたのを、元恋人と出会って気づく。なんで泣いてるかわからない子どもみたいに泣きつくことは、日常茶飯事。ふたりで暮らしたあの部屋で、心身ともに完全に寄りかかって生きていた。あの時にお借りした胸があるから、心もとなくて、ずっと涙がとまらないつらさもわかる。

 

まるで右か左みたいな経験をした25歳ぐらいまでのこと。生活も感情も止まることなくずっと回っていて、たまにふと自分の成長に気づいたりする。最近はすっかり落ち着いた。

考え事の横にはもはや無意識に茨木のり子がいて、「自分の感受性は自分で守る」のが当然になっていた。(これに今日気づいた!脳内同棲10年強!)

だから調子が乗らない日も、たまにやってくる世界に自分しかいないような疎外感の日も、ただそれを茨木のり子と観察しているだけの日々。大体は自分観察して、散文を書いて寝ればどうにかなる。感情的になっていても俯瞰しながら観察できるようになった。人に衝動的に怒ったり泣いたりしたのは最近いつだったか。思いつかなくて逆になんだかさみしい。

 

いつだって俯瞰していることに、それはそれで迷いがあるっぽい。 

良く言えば自分の世話は自分できているけど、気づけばあたしは「弱さを見せる強さ」を失ってるっぽい。

 

「今日は気分が上がらない」、こんな簡単なことを人に言えない自分になっていた。

「自分でどうにかするだけのことを、人に聞いてもらうなんて滅相もない」と、わりと本気で思っている。

しかしこれは自分のほんとうに求めていることなのか?と観察すると、そうでもないとリトルミユは言ってるぽい。

 

なんだかむかつくし、くやしいし、かなしいから茨木のり子を全部反対の刑だ!

 

 

『自分の感受性なんて』

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

じぶんのせいにはするな

あの人に水やりを求めたらよかっただけ

 

気難しくなってきたのを

じぶんのせいにはするな

向き合うことに尾を巻いたのはおたがいさま

 

苛立つのを

じぶんのせいにはするな

愛だからこそその一言をぐっとこらえたのはわたくし

 

初心消えかかるのを

じぶんのせいにはするな

そもそも やってみないとわからないことが常

 

駄目なことの一切を

じぶんのせいにはするな

思い出せばひかる そうでしょ?

 

自分の感受性なんて

みんなで守ろ

あいしてる

 

 

反対にしたら過保護のおかあさんみたいになったね。

元気ないときはミユスタイル茨木のり子のほうを、心で採用します。

あまのじゃくやから、気合いだけではどうにもならないときがある。

 

きょうも生きました!!