#内で躍ろう
※一世を風靡している例のウイルスちゃんのことがでてきたりします。
「センシティブなう」な方は、そっとリターンしてください。
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この二か月で、世界は変わってしまった!
色んなことに取り乱して、泣いたのが先週のこと。
この状況を飲み込めず、しんどい人がたくさんいる。
マックシェイクを10年ぶりくらいに飲んだら、甘すぎる劇薬で脳が溶けた。
考えることを余儀なく中断された。完全にキマってたと思う。
一昨日の朝はっと思ったこと。
これからは、この生活が普通になるのだと。
クラブも、映画館も、飲み会も過去の遺産になるかもしれない。
そう思ったら逆になんかすっきりして、新しい普通をぼんやり考えた。
会えない、ハグができない、もどかしすぎる。
もしかすると未来の人間は、会わずともラブパワーを送って同じ交流ができるのでは・・・とかね。
ネガティブからのポジティブ思想。
と、気持ちが落ち着いたのも束の間。
昨日は緊急事態宣言がでる雰囲気と、満月にかなりやられていたらしく、仕事終わって帰宅するなり身体がめっちゃ軽くなった。
しゃぶしゃぶがおいしくて、「おいしー!」って半分発狂しながら食べた。
それから、好きな人たちとコミュニケーションをとることに没頭した。
こんな時だからこそ会いたいのになとか思いながら、オンラインの恩恵をフルに受ける。
クラブや飲み会のグルーヴ感が恋しい。
ずっと関西在住の私にとって、いちばん自分事な災害が昨今である。
阪神のときは小さすぎて覚えてないし。
色んな天災を乗り越えてきた先人、まじすげーと思う。
シンプルに、いまこうして生きていることをプレゼントに思う。
「大好きだからこそ会わないよ」と、「大好きな人に会えない世界なんて」の自分がいる。
創造神ミユと破壊神ミユ。
風神ミユと雷神ミユ。
この相反した気持ちを味わうことが、きっと人間ごっこなんだろな。
そう思うと、ぜったい生きたいし、いつ死んでもいい。
どっちも本心なのだ。
私もあなたも愛されている。だたそれだけが色んな形となって目の前に現れる。
新しい物事は、破壊や手放すことから生まれる。
それがこの世界のすべてな気がする。
とか言いながら昨日もずっと半泣きやったし、仕事中以外はとにかく情報を遮断している。
腰は痛いし便秘にもなるし、今朝は嵐を聴いたら泣けてきた。我ながらやばい。
もしゆずで泣き出したときは末期である。
顰蹙を買うかもしれないけど、私はゆずが無理だ。
「栄光の架け橋」がこんなに流行るなんて、世の中おかしい。
みんないろいろ我慢しすぎなんちゃうかと、本気で思ってしまう。
極めつけはこの最中、お互いをスペシャルだと言い合っていた友達とケンカして絶縁状態にある。
ただこの現象たちを、軽々しく「悪い」と評価してやるべきでない。
何かの最終章なのか、序章なのか、はたまた箸休めなのか。それはわかんない。
友達とは、それぞれに自分の気持ちを尊重した結果こうなったと思っている。
何よりも大事にすべきなのは、自分だから、きっとこれでいい。
互いに、人に自分を傷つけられることを当たり前にしていない証拠。
なら、それもそれでいいじゃないか!
もしこれ読んでくれてて、またむかつかせたらごめん!でもこれが小生です。
またタイミングがあったときは、思いっきりビンタします。だからしてください。あたしにも。
気を遣ったら即死ってプリミ恥部は言っていた。
コロナちゃんによって、みんな足元の生活を見ざるを得なくなっている。
いつ死ぬかわからないことは、今までもこれからもずっと同じだった。
そんな当たり前のことを、まざまざと目の前で突き付けてくる。
やっぱりコロナちゃんは、ギフトなんじゃないかとも思う。
どうしても「外向きの自分」が主役になりがちの現代社会。
半径3メートルに立ち還って、何もかも味わいなおしたい。
意味のないことなどない世界で、意味のないことばかりして生きていたい。
げらげら笑った直後に、「はて、何がそんなにおもしろかったのか・・・」って言ってたい。
大事な人を、そんな気持ちにさせたい。
辛いときに頼りになるのは、ユーモアと音楽。
別にこの状況を乗り切るわけでもなく、ただげらげら笑って穏やかでありたい。
人生は、喜劇だ。
うまれて28年ぽっち、そう思います。
うちで踊れば、内も躍る。体は素直だ。
今朝は通勤前に3分だけしゃぼん玉をとばした。