私の頭の中の茨木のり子
茨木のり子との出会いは高校のとき。担任が「自分の感受性くらい」を教えてくれた。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
あまりの正論さに「ほんまやん!自分の気持ちなんて自分で世話せな!」と、圧倒された女子高生ミユ。
なんどもノートに書き写したり、部屋に貼ったりしていた。
この詩のおかげで、ややこしい家族環境の中でもグレずにいれたのかもしれない。「自分の感受性は自分で守れ」と言われ、第一次ビジネス本・心理学本読みまくり期到来。全日本女子バレーの柳本元監督の著書で、PDCAサイクルを初めて知り目からうろこ。
何事もノートにPDCA順に書いて回していけばいいことを知る。部活の顧問の指導方法にも「PDCAでコーチングすりゃいいのに」などと内心思っていたかわいくない女子高生ミユ。
勉強はほとんどしなかったけど、地頭だけは変に大人になって反抗期すらなかった。純粋なふりをして、世の中の大人を斜に構えて見ていた。思春期は家族の様子を見ていることでいっぱいで、自我を通す余裕なんてなかったのもある。
ネガティブな感情を人前で出すことを早々に封印してしまっていたのを、元恋人と出会って気づく。なんで泣いてるかわからない子どもみたいに泣きつくことは、日常茶飯事。ふたりで暮らしたあの部屋で、心身ともに完全に寄りかかって生きていた。あの時にお借りした胸があるから、心もとなくて、ずっと涙がとまらないつらさもわかる。
まるで右か左みたいな経験をした25歳ぐらいまでのこと。生活も感情も止まることなくずっと回っていて、たまにふと自分の成長に気づいたりする。最近はすっかり落ち着いた。
考え事の横にはもはや無意識に茨木のり子がいて、「自分の感受性は自分で守る」のが当然になっていた。(これに今日気づいた!脳内同棲10年強!)
だから調子が乗らない日も、たまにやってくる世界に自分しかいないような疎外感の日も、ただそれを茨木のり子と観察しているだけの日々。大体は自分観察して、散文を書いて寝ればどうにかなる。感情的になっていても俯瞰しながら観察できるようになった。人に衝動的に怒ったり泣いたりしたのは最近いつだったか。思いつかなくて逆になんだかさみしい。
いつだって俯瞰していることに、それはそれで迷いがあるっぽい。
良く言えば自分の世話は自分できているけど、気づけばあたしは「弱さを見せる強さ」を失ってるっぽい。
「今日は気分が上がらない」、こんな簡単なことを人に言えない自分になっていた。
「自分でどうにかするだけのことを、人に聞いてもらうなんて滅相もない」と、わりと本気で思っている。
しかしこれは自分のほんとうに求めていることなのか?と観察すると、そうでもないとリトルミユは言ってるぽい。
なんだかむかつくし、くやしいし、かなしいから茨木のり子を全部反対の刑だ!
『自分の感受性なんて』
ぱさぱさに乾いてゆく心を
じぶんのせいにはするな
あの人に水やりを求めたらよかっただけ
気難しくなってきたのを
じぶんのせいにはするな
向き合うことに尾を巻いたのはおたがいさま
苛立つのを
じぶんのせいにはするな
愛だからこそその一言をぐっとこらえたのはわたくし
初心消えかかるのを
じぶんのせいにはするな
そもそも やってみないとわからないことが常
駄目なことの一切を
じぶんのせいにはするな
思い出せばひかる そうでしょ?
自分の感受性なんて
みんなで守ろ
あいしてる
反対にしたら過保護のおかあさんみたいになったね。
元気ないときはミユスタイル茨木のり子のほうを、心で採用します。
あまのじゃくやから、気合いだけではどうにもならないときがある。
きょうも生きました!!