呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

:素直を。 1/23

 

たいして映えていない日常をSNSに更新しまくること、クラブで私に好意のあるメンズが近寄れないほど踊り倒すこと、スキがあれば全裸で海やびわ湖に飛び込んでしまうこと。

 

このへんのことを見ても、私はわりと素直なほうだと思う。というか、自制機能がポンコツすぎる。常に何かを出していないと、じっとしていられない病気。これは、毎日体を使いきる、という意志のもとにあったりもするけれども。寝るときは死ぬくらいの気持ちでいたい。

 

ことのはじまりは、こちらから。

 

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最近出会った人との会話の話題によく「素直」があった。いいタイミングなのでそれを書かせていただこうとおもいます。ひらめきをありがとう。

その人と出会って間もないころ、「私は素直だけが取り柄なんです。」みたいなことを言った。

そしたらその人も「いや自分も素直さでは負けへんで。」と、そんなやりとりが初っ端からあった。

負けへんでと言われてしまったその瞬間からそれはもうタイマン。

この人には自分の思っていることをとことん話しても大丈夫な気がしたし、自然とそうなっていった。

私、天使ミユ、悪魔ミユ、その人、天使その人、悪魔その人の6人サミットが開かれたこともあった。

天使ミユと悪魔ミユの言葉を代表して口から音にする、ミユ。

こんなふうに話すと自分事をすこし離れて話せて、より素直だった。

 

なんとなく発した言葉から、初めて自分が感じていたことを自覚したりすることがたまにある。

言葉を発した口はたしかに自分のものなのに、自分の中の誰かが言ってくれたような感覚のとき。

この現象は、相手が私の発するものに「全部受け止める」と肚をくくってくれたときにだけ起こる。

それを無意識に、ときに自覚したりして、その人の肚へ気持ちを投げたときにだけ出る言葉がある。肚で引き受けてくれる人がいるからこそ、私は素直さを発揮できるの。

 

だったら、人間関係はいつだってタイマンなのである。

お茶をすること、仕事のやりとり、朝のいってきます、同じ音楽で踊ること、セックス、ぜんぶぜんぶ私の中ではタイマン。

世界最小のコミュニティはサシでの対面だから、そこの向き合い方が基準となって社会に現れる。

語弊がないように言っておくと、いかに自分をオープンにできるかというタイマンなので極めてピース。

このタイマンはじゃんけんのない野球拳。ただの脱ぎたがり。

大事なのは通報されるかされないかのラインを見極めながら脱いでいくこと。

一気に全裸になると即通報で拒否されてしまう。まれにボーナスタイムでこの人のように、すぐ全裸になってもうまくタイマンできることもある。

 

こんなことを昔から心の中で思いながら過ごしている。

二十歳のころの私のテーマは「形にする」だった。われながらいいとおもう。

 

その人にここまでの経緯を一切説明せずに、「人間関係ってタイマンですよね」と言った。そしたら「ほんまそれ!素直タイマン!」って言ってくれて、ぶりんやった。

 

いろんな矛盾と向き合っている。すこし歳を重ねたぶん、同時にいろんな感情がわかるようになった。

どの感情を今の気持ちに当てはめるか、自分世界の中で何よりも大事にしたい。

 

 

https://www.instagram.com/p/B7at7OsBQB9/

地球のちりとちりがかさなりあえば、それは ミルクセーキ



 

素直に肚で向き合うこと、素直タイマン。

 

素直に肚と向き合うこと、素直タイマン。

 

ありがとう、いー薬です。

 

 

:囁きを。 1/15

 

こんばんは、ミラクル起きて平日の夜に書いてる。

 

普段はこんな時間(23時)ネムネムでありえへんことなんですが、

最近睡眠時間がすこしみじかくてもよくなった!

地球に順応してきている、あたし、ええぞ〜〜

 

 

ことのはじまりはこちらから。

 

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こんやは「囁きを。」

改めて意味を調べてみた。

 

ささ やき [0][4]き・私語

ささやくこと。また、その声や音。ささめき。  -ごと 愛の-
   
出典・大辞林

 

 めっちゃそのまんま。これ辞典としての役目果たしてるかも、あやしいところ。
 
漢字から読み解くと、口ひとつにたいして耳みっつ。1:3ですね。ふつうに聞こえる分の、3ぶんの1くらいのボリュームなのかしら。うん、わりとそうかも。
 
ささやきってやっぱりラブなイメージが強いけど、ないよりあったほうが15億は良い。ガヤガヤしたところで耳元でひそひそ話すとか、べつに静かなのにひそひそ話すとか、めっちゃ女子は好きだとおもうの。
「女子が好きなスイーツ」とかみたいな表記が結構嫌いなあたしですが、ここだけは使わせてほしい。女子はささやかれるの大体好き説。
メンズ、とにかくささやけばいいよ。それも、いかにもって感じのことじゃなくて、めっちゃしょーもないこと。ささやきで、全力で滑りにいく。あたしはこーゆうくだらないことにキュンとしちゃう。「なんなん、アホちゃう」みたいな。なにがって子ども感、それが好きな女子がほとんどなのでは。
 
やから、ささやく以外にも、とにかく木梨憲武っぽくいけばいいかと。(圧倒的ノリさん支持者)
 
というか性別関係なしに、ありのままで自然体でいる人がいちばん魅力的のような。かつ、真剣な会話ができるとか。子ども感あるのに真剣な会話できるとか。はい。これヤンキーのゴミ拾い現象です。とにかくヤンキーのゴミ拾いみたいなのが大好きすぎる。逆も然りで、クラスでいちばん大人しい子のダンスダンスレボリューションとか。まじ最高。
 
ヤンキーのゴミ拾い、
好きなアニメはテレタビーズの政治家、
休日はヘビメタバンドしてる宮大工、
ほんとは猫が好きな黒柳徹子
 
、、、
 
一見すると、そうでもなさそうなひとの、新しい一面を見たときのキュン。
 
あれ、なんでこんな内容になったんやろ。これが深夜のまほう。
あたしは好きなものもすぐ全開なので、ギャップとは程遠い人種やけどうらやましくなってきた。
ひとつだけ、だれにも言わないすきなことをつくろうかしら。
 
さあ、明日もいつもより20ぷんだけ早起きして、意識高い系CEOへの道は続く。
いつかはシリコンバレーのやばいCEOみたいに朝から抹茶とか点てるから。
なんなら片岡鶴太郎みたいになるから。
 
 
おやすみ。(ひそひそ ささやき声)
 
 
 

みんなの初夢2020

年明け大好きなひとたちと2日間盛大に遊びすぎ、昼過ぎにやっと起きた。

なんとも連休最終日にふさわしい。

車を走らせて田舎のスタバに行こうか迷ったけど、それすらもめんどくさい。 はて、私がスタバに行く意味とは? コーヒーのむ、書き物をする(Wi-Fi)、、以上。あれ?これ家でできるな。やっと気づいた28歳冬。

 

というわけで、最高に静かな古民家(自宅)できっかり1杯分のコーヒー淹れて、音はApple Musicのプレイリスト『ベットタイムビーツ』。さっき起きたとこやのにベットタイムビーツ。まだ昼なのにベットタイムビーツ。どんなけ朦朧としてんの。

 

ねむいというか、しあわせに埋もれて顔が湯豆腐みたい。

 

昨日初夢の話をたくさんして、あまりにもみんなの初夢が最高なのでこっそり紹介しちゃう。夢って著作権いるかな?まあいいや。

 

 

はちの初夢

 誰かに駄々こねてプロポーズしまくる 

はちは独身。あまりにも最高すぎて聞いたとき半泣き。ただのプロポーズじゃなくて、柴犬が駄々こねるくらいのお相手ってわけで。きっとはちは誰かを最愛のひとだと気づく瞬間が、もうすぐそこにあるのだということ。「ぜったいに手放したくない」の最強マウントが駄々こねでしょう?きっと。個人的には急に街の人間が踊り出すフラッシュモブのプロポーズとかめっちゃ嫌いなんやけど、駄々こねプロポーズはカッコ悪すぎて、最高すぎる。駄々こねプロポーズをどうにかしてオンタイムで影からから拝みたいなあ。ただのよこしまなオバさんのミユ。

 

※はちに関する情報は「はち」「柴犬」くらいしか記載してませんが、ぴんときた方は仲介紹介所の私まで。よこしまなオバさん心を堪えて、真摯に対応いたします。

 

 

 きむきむの初夢

 1人の人間に怒って泣いて、ハグしてわかりあう  

なんやこの樹木希林さんみたいな夢!とすぐ思った。そして「この人は誰やったん?」という、よこしまオバさん質問しそうなところをぐっと堪えた私、えらい。この人が誰であるのかは置いておいて、出川イングリッシュはこのためにあったのかくらいガチの「ヒューマンtoヒューマン」のやりとり。きむきむはそんな簡単に怒ったり泣いたりするようなヒューマンとちがうから。おいしいものを生み出すのが上手で、どんな私でも包んでくれる母性の持ち主。ちなみに樹木希林さんは亡くなった日に私の夢枕にやってきて、微笑んでお辞儀をしてくれた。大好きやったので亡くなった寂しさを、律儀に埋めに来てくれたと思っている。希林さんがきむきむに「もうすこし子どもっぽく、おもしろがってみたら」と言っているのかもしれない。

 

※きむきむに関する情報は「きむきむ」「料理上手」「母性」くらいしか記載してませんが、ぴんときた方は仲介紹介所の私まで。よこしまなオバさん心を堪えて、真摯に対応いたします。

 

 

わたしの初夢

 ①田中裕子似のおばちゃんが「孤独なまま〜とらわれず〜♩」って小躍りで私に歌ってる 

 ②空が宇宙で、海に浮かんだ沈みかけのイカダで水に浸かりながら小さな女の子にキスしてる 

おばちゃんの夢のあと、目が覚めて急いで携帯にメモして二度寝したら空が宇宙の海でした。2人の夢とは違って非現実的。ここ最近のテーマが「執着しない」やったので①はなんとなく納得。②はよくわからん、キスの感覚もちゃんとあって、チルで、ハッピーで、目覚めたとき最高の気分でした。

 

私は眠りが深すぎて8時間寝ても2時間くらいに感じるから、わりと本気でどっかに旅行でも行ってるのかな?相対性理論?みたいなことを思っている。これわかってくれるひといるかなあ。

 

 

こんなに初夢で盛り上がったの初めてやし、

年越す瞬間になんか生まれて初めてジャンプしちゃったし、

行きつけの飲み屋のシャイなマスターに「あけおめ〜!」ってしたら「アケ〜☆」ってギャルみたいな返事してくれたし、

初歌いは妹につられてドンキホーテやったし、

なんだか2020年はすごい年臭がやばい。くさすぎる。

 

すべてが必然のタイミングで、みんながさくっとアクションできますように。

真面目に祈りつつ、プープーぐるぐる活動しすぎてる私の大腸と子宮。

 

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thanksallmiyu.hatenablog.com

 2017年元旦もまあまあくさかった。

 

 

 

2020年はつづく。

 

 

 

 

過去のじぶんは、遅れておいつく

 

新年おめれとうございます!

きょうはノリノリでスタバでタイプしています。新年いい感じ。

みなさま今年もどうぞよろしくおねがいします。 

 

わたしの1月2日はこれを有言実行した。

 

 

なななんと、

ぜんぜん知らない人が、どこからかこのブログを見つけてくださり、シェアしてくださり、「この感性がすきだ」と言ってくださった。神すぎる。なにこの神。

 

 

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しかもこの投稿は結構前の、思い出すとまあまあ恥ずかしくなる時期のやつで。「自分をほんとうに晒すなら、過去のものも消してはいけない」と勝手に十字架を背負って残したまま投稿し続けていた。

 

嬉しくなりすぐコンタクトをとる私。テンション上がるとすぐコンタクトとりがちの私。現代ってすんばらしーね。私はSNSで繋がった大切な人がわりといる。

すこしだけやりとりをさせていただいて、自分が自分に向けて書いていた「過去の言葉」を、「いまこの方」がしっかり汲みとってくださっていた。私が残したものをひろうか捨てるか、どう感じてもらうかは誰かの自由なんやけど、いちばん私が喜ぶパターンのやつでした。本当にありがとうございます。

友達や知り合いでも、私の文章が好きだと言ってくれる人がいる。どこかの誰かから、純粋に好きだと言ってもらえたことは初めてのことで、嬉しさもひとしおなのです。

 

この瞬間に過去のじぶんは、今もいることに気づいた。思い出や記憶を覚えているのは今の私で、その記憶レベルはフロッピーディスクくらい。文章や音楽、絵、写真は創造した瞬間、そこに留まる。すこしも先に行きたがらずに、留まっていてくれる。空間を瞬間で切り取って、スクラップしたかのように。スクラップブックやから、いつだってページを辿って遡ることができる。残したまま、ずーっと遡ってもらえないスクラップもある。でもそれはそれで意味を為している気がした。

 

こうやって、誰かを通して過去の自分が遅れて追いついてくれた。そうなった瞬間、過去も今になる。過去の自分はいつだって一緒にいる。自分が気づきさえすれば。

 

 

https://www.instagram.com/p/B6f4NH5hT1U/

惜しみなくgive

 

 

過去の自分をずっと体にまとって生きている。だったら今が最高。

 

 

 

 

 

:言葉を。 12/24

 

メリークリスマスイブ!!

はりきって鮮血みたいに真っ赤なパンツを職場に履いて行ったら、鮮血みたいなニットの女性が2人もいて、鮮血トリオだった。うちの職場最高。

 

ことのはじまりは、こちらから。

 

この前出会った言葉 - 呼吸器のようなもの

 

 

書くことは私にできる、数少ない創造できることなのだけれど気をぬくとすーぐ遠ざかってしまう。

しあわせにあふれているときはなおさら。そればいいとかわるいとかの判断ではなく、生きているからには惜しみなく自分を遺していくべきだと思う。うまいとか、へたとかは受け取ったひとが判断すればよくて、私は自分にその判断をしてやるべきでない。

 

今日はクリスマスイブ。あまりにもすてきな会話をしたので、うれしくなって書く気になった。

 

おしゃべりの相手をしてくれたのは、私の向かいの席にすわっている事務の年上のお姉さん。普段は他愛のない会話をする程度だけれども、今日はひょんなことから「自分をどう心から喜ばすか」みたいな会話になった。さいしょは逆に自分がむなしいこと、自分が喜べないことをぽろぽろとしゃべりあった。そこで、大きく共感しあえたことが、「人の役に立てていないような感覚はめっちゃつらい」ということだった。楽しさや喜びには、自分以外の誰かが大きく関わっていて、なおかつ「その人が喜んだ=お役に立てた」ときに自分はいちばんうれしいのではないか、という考察。結局自分の喜びは、人の喜びだったという。それがほとんどの人に起こっている喜びの根源だった場合、「喜ばし合戦」が世の中の水面下でしたたかに行われていることになる。「たしかに、そんなところありそうですね」とお姉さんは答えてくれた。出先で大切な人を思い出してお土産を買ったり、なんてめっちゃしたたかな喜ばしだ。この間は大切な人が職場に大量にあったお土産のベトナムコーヒーを、こっそり私の分までもらってきてくれた。私はその人が私を思い出してくれたこともひっくるめて、喜んだ。

 

とにかく、こんなやりとりをイブの昼間に、しかも職場の向かいの席の人とできるありがたさ。私は感動してしまってつい、「こうゆうやりとりのために言葉ってありますよね」と言っていた。お姉さんは「本当に」と言ってくれた。

 

あんまりきれいなやりとりだから、ブロブに書こうと思ってふとちなみに25の言葉シリーズの次はなんだっけと確認したら、「言葉を。」の回だった。

これを偶然と捉えるか、必然と捉えるかで人生のドラマチック加減が大きく変わるとおもう。私はせっかくなので後者をとる。

 

ほんとうに大切なことは、言葉では伝わらないと思っている。だからといって会話や言葉をそこそこにしておくではなく、肚の底の感情を表せるよう、どうにかいちばん近い言葉を見つけないといけない。

自分を遺すということは、きっとそうゆうこと。

 



 

あいしてるよ

 

 

 

 

 

 

 

呼吸器のようなもの

ブログのタイトルを、しれっと変えました。

「心から笑っておくれ」から、「呼吸器のようなもの」へ。

 

文章を生み出す行為は、私にとって呼吸を整えること。気づけば中学生からずっと何かしら文章を残してきていて、それは、日々をすごしていくために必要な酸素ボンベでした。

書くこととライフが強く繋がっていることに、今更気づきました。

 

 

このブログを始めたのは3年ほど前なのかな。そのころ、私の文系マインドを目覚めさせる友達に再会します。彼女は文章を書いたり絵を描いたりしていて、それをさまざまな形でオープンにしていました。私にとって描いたり書いたものをみせるなんて、パンツを見せるくらいの気持ちで、もう尊敬っていうか畏敬の念みたいな。

そこからこんなふうにしてブログにアップすることが始まりました。

タイトルを「心から笑っておくれ」にしたのは、私の大切な人たちが幸せでいてほしいなってゆう感じだった。それで、その時によく聴いていたつじあやのの歌詞の一部をもらいました。

最初のほうは誰かにに宛てたメッセージみたいなのを書いてばかり。人を励ます自分に酔った、マスタベーションみたいな文章ばかりです。人のことを気にするふりして、自分のことから目を背けておりました。このころ書いたものは消したいし非公開にしたいんやけど、これも人生のネタなので晒しておきます。それにいつかこの文章たちが、私を励ますかも。

ブログに書くようになってからしばらくして、すごくもがいていた時期があって。それで、もう何もかもどうでもよくなって、さらけ出したくて。じゃないと、生きていけないような、そんな時期があって。自分自身のこと、父親とのこと。ああ、それで、フルヌード撮ったりも。笑 そろそろまたやっとこかなあ。笑

 

それに、あの人が言ってくれていたように、自分の書いてきたものを紙媒体にしてみたいかも。

そのために、ここでひたすら残していくことからかなあ。

 

そんなことで、私は誰かに心から笑っていてほしいなんて求める分際じゃなくて。

そんなこと思ってたら自分にフォーカスしなさいよって。やーっと気づきました。

誰といても自分は常に孤独だし、1つになれないからこそ世界は美しくて成り立っている。

早く還ってしまいたいと思うことはタブーで、何も生み出さない。だったら、私は呼吸器があるんだから、それでここでささやかに生みだすよ。人間として生きた証。インスタグラムも生きた証やけど、もっとディープなところまで自分をまだまだ深掘りしたい。

 

死ぬまで老後のネタ作り!

 

 

:元気を。 5/3

あーあ。

GW日連続更新、サボりにサボりまくり、また今日も3本書くことに。

ぎりぎりになってやるのが私です。

 

 

ことの始まりはこちらから。

 

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きょうは元気ということば。

最初に気になったのは「氣」という旧字体。私はスピリチュアルなこともすきなんだけど、そーゆう人たちがよく使っているイメージ。あんまり気にしたことなかったけど、これを機に調べてみました。

 

誰かのブログより以下引用。

「 氣 」を使うことでエネルギーが放出されているイメージができ、本来あるべきエネルギーの流れが生まれます。

氣(エネルギー)というのは、良かろうが悪かろうが常に全身を流れ、外に出ているんです。むしろそれが自然な状態。

 

ほほーん。なんとなく、腑に落ちるような。良かろうが悪かろうがエネルギーが巡っているということは、なんとなくいい気がします。あ、いい氣がします?まあそうゆうことらしい。

 

「元気でいる」ということは、なかなか難しい。お酒を飲みすぎたらむくむし、怠いし、ちょっと冷えたら風邪ひくし。最近の私の年末年始は3年連続風邪とかインフルエンザをしています。今年なんて大晦日がいちばん熱が高かったので、紅白もまったく見れなかった。すべては私の身体さんがなさっていることなので仕方ないんですけれども、、みたいな感じでただ受け入れて休むしかない。

体調をくずすことにネガティヴなイメージがあったけれど、プリミ恥部さん曰く、体調不良は身体からの愛であると。確かに良くしようとしようとしてででいる作用であったり、しんどくなることで思っていたよりも疲れていたことに気づく。体調をくずして寝込んだあとは大体痩せて、目がいつもよりくっきり開いて、身体の中からすっきりした感じがする。東洋の考え方なら、熱をだして身体の中の詰まっていたものを解毒したということ。西洋の考え方はその症状を薬を飲んだりして抑えることが大切なので、風邪ひとつにしても全然アプローチの仕方がちがう。

ちなみに私は解毒派なので、たぶんインフルエンザだった1週間の高熱も自然治癒で治したことがある。治った後はげっそり痩せたけど、すっきり具合が倍増した。ただ、その1週間はめちゃくちゃしんどかったし、これで免疫ができたと思ったら翌年またかかって寝込んだ。今度は新薬(ゾフルーザ?)を使ったけど、合わなかったらしく熱はすぐ下がっても長い間倦怠感がすごかった。

という、私の最近の体調事情。

 

身体が元気でいるには、とにかくたっぷりの睡眠と少食だと思う。私はこれが一番合っているから。食べるものはそこまで気にしてない。ただ、食べたいものを食べたいときに。揚げ物も、ポテチもカップ麺も大好き。でもお腹が空いた時に何を食べたいか真剣に考えるとそこまで偏ったりしない気がする。

 

とにかく好きなものを好きな時に「めっちゃおいしすぎる!!!」ぐらいのテンションで食べられていたら、なんでもいいエネルギーになると思う。笑

「添加物だから」とかの理由で好きなものを食べないで我慢してるほうが、よくない気もするし。私はね。人には人の乳酸菌。

 

 

つらつらと書きはじめてみたら今日の着地点は、私の健康法でした。なんか、すみません。笑

お時間つかって読んでくださったかた、ありがとう。

今年の目標は背中をやわらかくすることです。がんばります。