心から笑っておくれ

杉本実優(スギモトミユ)滋賀生まれ11月生まれ大阪在住25歳児。考えたり感じた言葉を綴るのがすき。日々感じたことの備忘録。

こんばんは

ぐっと冷え込んだ京都の夜から書いています。

先日の記事からはや2かげつ。

「何をしていたのか」と自分に聞き返してみると、まあまあけんめいに生きていました。

会いたい人にだけ会い、弱った心を励ましてもらったり慰めてもらったりもした。

 

この2週間前はどうなることかと心配していたことが、すこし大丈夫そうな気がしてきてやっとほっとしている。

「生きていたら大丈夫」 そんなことを友達には簡単に、ほんとに心からそう思って言えるのに自分のことだけは本当にわからない。

がらっと状況が変わるとき、やっぱり欲張ってぜんぶを欲しがってはいけない。体がついていかないなと思った。だから今のあたしは少し仕事にセーブをして、自分や人との信頼関係を確認しあっている。どんなに寂しさを共有できたところで、本当の「こころの穴」はきっと死ぬまで埋めてはいけない。不安も、安心も、よろこびも全部「そこ」からきているから。

 

相変わらずさみしがり屋のあたしですが、すこし自分でさみしさを慰めてやれるようになったかもしれない。

部屋には備え付けのダウンライトがあって、カンで買った電球をつけてみるとぼやっとオレンジ色のうす暗い、あたたかい部屋になった。こんなふうに自分だけの空間も愛でてやりたい。

 

きっと、ずっとここにいることはないのだから。

 

 

 

 

 

 

うまれて初めてのモデルでフルヌードに挑戦したおはなし


 ただ無意味なことをしてみたかったのかもしれない。ただ自分の好奇心が導くほうへ。素直に従った結果です。25歳の夏はたくさん考えたり自分に向き合うきっかけがあった。そしたらもうどうしたらいいのかわからなくなった。でも心のどこかでわかっていたのは、この時間も「今」でしかなく、どんなに抵抗しても続かないということ。そんな「今」を少しでもクリアーにしたくって、「今」のあたしを遺してみたいと思いついてしまった。考えこむことが多かったからこそ、自分のために動かなくてはと誰かに背中を押されたような感じ。こんな思いつきにはちゃんときっかけがあって、高校の同級生にプロカメラマンをしている友達がいた。彼の写真はインスタグラムでずっと好きで見ていて、何よりも彼の写真に対する愛がいつも伝わってきていた。もしかすると、彼との繋がりなしではフルヌードを撮ってみたいという発想もなかったのかもしれない。彼に連絡してみたら二つ返事でオッケーしてくれて、あっという間に日取りと撮影場所も決まってしまった。

 

 モデルの知識なんて何もないけれど、あえて何も見ないでおこうと思った。偽りのない、今の自分を写したかったから。食事は少しだけ意識して、コンプレックスの体毛もほとんどそのままにした。剥げたペディキュアだけは当日の朝気がついて、急いでダークブルーを塗り直した。もちろんノーメイクで、結局ほとんどいつも通りというわけ。彼と会うのは卒業以来で7年ぶり。指定された集合場所へ向かうまではさすがのあたしも少し緊張した。車内では高校から今までの話、あたしの今日までの動機などゆっくり話した。彼も少なからず緊張していただろうに、穏やかに迎えてくれて本当に感謝している。

 

 雨予報のなか、奇跡的に晴れた2時間。何もわからない丸投げのあたしに、ていねいにアングルやイメージを教えてくれた。たまに撮った写真を見せてくれ、あたしをリラックスさせようと彼は優しかった。実はカメラの前で自然な笑顔を作るのが本当に苦手で、成人式の時はカメラマンに中断されたほど。大きな口でがーっと笑うか、変顔しかできないとゆう。でもこの日は大きなカメラを向けられても、彼と自然が作り出してくれた空気感によって、いつもとは違った自分がいた。何がって楽しかったし、まさか高校の同級生とこんなことしてることがおもしろくて笑えた。すっぽんぽんになるときも、何にも不安はなかった。(高校の同級生なのに!)そろそろ終わるタイミングで急に風が吹き出してきて、急いで帰り支度をした。天気すらも味方してくれたことを実感して、また嬉しくなった。濡れたままの体で車に乗り込み、銭湯へ。冷えた体を温めながら、ぼんやり不思議な時間を思い返した。ご飯を食べていろいろとおしゃべりに花を咲かし、早めに解散した。帰宅して、しぬほど寝た。うまれて初めてのことはきっとなんでもいい疲れがあるのかも。

 

 時間が経つほど自分の行動力に笑えてきて、恥ずかしくて、なかなか500枚のデータを見れなかった。やっとゆっくり見てみると、彼が本当に全力でシャッターを切ってくれているのがわかる。本当に感謝でいっぱいになった。あたしがおばあちゃんになっても、絶対ずっと思い出す1日になる。まだこの写真たちをどうしようかは何も決めていない。でもこのまま仕舞っておくことは少し違う気もする。もし、何かアイデアがあれば教えてください。

 

 いま思えば、ただ無意味なことをして、それでも生かされていることを感じたかった。嫌になるくらい、自分のままでしかいられない自分と、もっとぶつかってみたかった。やわらかく、自分を受けとめたかった。これから先、どんなことを感じ生きていくかは誰にもわからない。でもひとつだけ、めっちゃはっきりわかったこと。もう、うそはつかない。どんなうそでも。見ないように、殺してきた自分を今度こそ生かそう。ストイックに自分を癒すと決めた。感じたものを、思いついたことを、殺さないと決めた。ちいさな自分を慰めてほしかったのは、自分自身だ。そんなことにも気がつかず、いろんな人を利用してきたあたし。不器用で弱いけど、もっと真っ直ぐに生きますから。あたしを見捨てるな私。寂しさと孤独を原動力に、愛を。その原動力たちにも愛を。


最高の1日を遺してくれたカメラマンのやまげん、

自分として生きる背中を見せてくれた「ピンヒールははかない」の佐久間由美子さん、

いつも私と真っ向から向き合ってくれる家族、

そばで見守ってくれている恋人、友達、みなさまへ、

たくさんたくさんの愛と感謝をこめて。

長生きしてください。

 

 

私は今日もあたしを生きます。


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:気遣いを。 9/29

こんにちは、

3ヶ月ぶりのこのシリーズです。

本日は「気遣い」について。

 

ことの始まりはこちらから。

 

thanksallmiyu.hatenablog.com

 

 

 

「どんな自分であろうが、自然体なのが一番いいに決まってる」

 

そんなふうに思うきもちは、人より少し強いかもしれません。

昔から着飾るのが苦手で、日焼け止めが塗れなくて、裸足がすきで。

 

「よく気がきくね」と言われるようになっていたのは中高生のころから。

ほんまかどうかわからへんけれど、気がきくって結構言われるんですあたし。

学生のころに夢中になったものは、部活のマネージャー業でした。きらきらしているみんなをそばで応援して、お手伝いすることがシンプルに楽しかった。黒子のようにせかせかと動き回っていました。確かに気を配って、誰かを応援することで自分を応援していました。

 

最近いろんなことで自分というものについて考える機会を与えてもらっています。

とある日、知り合いのお姉さんが「みゆちゃんは気ぃ使いいやもんなあ」と言いながらたくさんハグしてくれた夜がありました。どこぞの居酒屋で(笑)なんのこっちゃかわからんかったけど、なぜか涙がとまりませんでした。なんだか安心して、あたしより小さいお姉さんの胸を、たくさん借りました。不思議な夜でした。

 

なんとなくその夜からお姉さんにぽろっと言われた言葉がひっかかって、そいつがあたしにアピールしてきます。

子どものころや、何気ない日常たち。見ようとしてこなかった当たり前の世界を、遡って見つめることができました。

なんか、いろいろ感じてたことがあったっぽい。

 

 

「あたしって気遣いなんかなあ」ときくと、「そうやで」とさえちゃんは言っていました。

そんな自分の存在にまったく気づいていなかったあたしは、秘密を握られているような気持ちになって急に恥ずかしくなりました。

そ、そうやったんや、、、、し、知らんかった。

 

ほんとはさみしがり屋なこと、誰も気づいてへんと思ってたのに。

ほんとはハグしてほしいこと、誰もきづいてへんと思ってたのに。

ほんとは大丈夫って言ってほしいこと、誰も気づいてへんと思ってたのに。

ぜんぶ気づかれてた、てゆうか周知の事実やったんかも。

なんやこれ(笑)やばいです。

本当の自分とうその自分、両方いるのは当然やけど肩肘張ってるのがばからしくなってきた。

 

 

「どんな自分であろうが、自然体なのが一番いいに決まってる」

そう思ってきた自分がいちばん不自然やったりして。作ろうとしてきた自然体、まるできれいに植えられた、お花屋さんのプランターみたいなあたし。悪くは思われへんかもしれへんけど、そのプランターがぜったいええんやって言って買ってくれる人はいるのでしょうか。

クセのある人になりたいんじゃないし、特別なことをしたいわけじゃない。

でも自分の中の見てこなかった部分を、もっと見つめてみたい。自分の知らない自分がまだいそうだから。

 

そんなことを思いついたら、わくわくしてきました。

やっぱり、まだまだ自分がいるようです。

 

自分を愛することができないなら、自己嫌悪を反動に、もっと自分にアツくなってやろうと思いました。

本気で、自分を癒そうと思いました。

 

癒すってゆうのは日々の生活をサボったりするんじゃなくて、

自分にいろんな可能性を見出してやることやと、そう思います。

 

 

自分の今を、将来を、誰にもあずけるな。

 

孤独を迎え入れて、生きよう。

 

どうせべつべつなんだし、「ひとつ」なんだし。

 

 

 

 

 

 

9月21日

線路沿いの うちの家

線路向きのベランダから 電車の音と風が吹き抜ける

 

ぼんやり何もしないをする 木曜日

 

身体にはたるい疲れが残っているけど起きたみた

 

 

ふとあの人の詩を読んでみる

 

ずるいなあ

 

ここにいないのに ここには私だけの孤独があるのに

気づけばそばにいる あの人の言霊たち

 

あの人の優しさの鏡越しに 自分を見て

なまぬるーい自己嫌悪

そんな私であることすら その人はわかっている

 

考えることを放棄しかけている自分は いつぶりだろうか

私のなかに静かさが響いてなんか悪くないし久しぶりの感覚

 

感じているようで考えつづけていたらしい

 

 

なんにもできなくていいや

 

愛せるものがあれば

 

 

ケータイ置いて、ノーブラで散歩しよう

 

イエス・トゥー・エブリシング

あたしはゲストハウスとバーで働く25歳のフリーターで、

大阪で同棲していて、

毎日は不安定だけど今のスタイルが好き。

純粋に幸せを感じることができている。

働いた時間だけ「時給」とういう形でお金をもらえて、

同世代の平均女子よりきっと収入は少ない分、時間を自由に扱っていると思う。

 

こんな自分に納得していい感じって思うとき、

こんな自分に嫌になるとき、両方とも平等に存在していて。

今はいろんなことを考えるきっかけを与えられて、少し混乱しています。

おかーちゃんに働き方も恋愛も全部違う方向を向くことを希望されていて、「私は私の人生がある」って強く貫けない自分がいて。

今の生活が続けばとっても幸せ。でも私がその幸せを人におすそ分けできていないってゆうか。それに申し訳なさを感じているから、自分の思ったことをしっかり言えなかった。

 

そんな自分で日々を過ごしてみると気づいたこと

・家がめっちゃすき

ワンルームの狭くて整ってもいない部屋だけど、ここで本を読んだりYouTube観てるの最高(笑)

・夜は家で過ごしたい

どんなけ家がええん。なにがってゆっくりしたいんやろね、自分。

・仕事が楽しい

めっちゃ落ち込んで外に出たくない日も働いてみれば、すごい楽しい日になった。

過保護のカホコが自分のよう

彼女のようにまっすぐで素直ではないけれど、みんなが大好きでみんな仲良くなるにはってずっと考えている。どっちつかずの私がみんなを心配させているのかもしれないけど。

 

 とまあ考え事が多い今日この頃。

たとえ今の状況このままがいいとどれだけ願っても時間はあたしを置いていくし、すべて何かに動かされている。

 

悩んだままだと置いていかれるから、ちょっぴり勇気の要ることを。

できるときにやっとこ。

 

あたしの好きなと

・人との会話

・自然の中にいること

・言葉を綴ること

・おもろいこと、へんなこと

 

さあ今日もおもしろく生きてやりますよ、私は。

 

 

 

 

 

 

このあいだの日記

子どものころのときのように、
南草津図書館の音楽・演劇の本棚の向かいの一人がけの椅子にすわる。
窓から空が見えて好きだった席、きょうはブラインドがしまっていた。

 

さっきまで草津でお友達親子とランチ。
ただ簡単な言葉にするならば、とってもいい時間だった。それだけ。

あの親子がとてもすてきだとあたしが感じたように、
あたしもそう思われていると母が誇らしい。


立場があっても人と人に変わりはなくて、
それを見抜く力があたしにはある。
これはあたしの強みであって母に与えてもらったもの。
そんなあたしの強みは今日も存分に発揮してくれた。

 

「最終的には必ず受け止めてくれる」

 

今後あたしがどんな人生を歩んでいようが、その言葉がほしかった。

 

言葉を選びながら、様子をうかがいながら話してくれたその心はきっと彼女が人生で色んなことを感じ取ってきたことを物語っている。

あたしの人生、あたしが見捨ててどうする。
あたしには揺るぎない覚悟がまだ用意できていなかった。
それを母は悟っている。

 

図書館の静けさの中に響く
足音、本を取り出すときの音、懐かしい音が心地いい。
スポーツや宇宙の本棚ばかり立ち止まっていたあの頃のあたしが想像していなかったほどの日々を送っている。


あの頃のようにゆっくりと歩き回り、立ち止まる本棚はどこだろうか。

✴︎無駄づかい

 

仕事で忙しい1日も、

遊びに夢中な1日も、

遠くへ出かけた非日常な1日も、

だらりとお家ですごす1日も。

 

泣けるくらい笑える1日も、

泣けるくらい嬉しい1日も、

泣けるくらい悔しい1日も、

泣けるくらいほっとした1日も、

泣くしかないような1日も、

涙が枯れてしまった1日も、

 

ただの何気ない命のくりかえし。

 

そこには時間というものだけが存在していて、

今のじぶんをすぐに置いていく。

 

残されたこれからの時間のことを

考えるくらい生きているそんな日こそ、

時間を無駄づかいすればいい。

 

無駄づかいや空虚にさえ意味を感じることができたら、

もうずっとずっと有意義なのに。

 

そこに在る命が、すでに有意義なのに。