過去のじぶんは、遅れておいつく
新年おめれとうございます!
きょうはノリノリでスタバでタイプしています。新年いい感じ。
みなさま今年もどうぞよろしくおねがいします。
わたしの1月2日はこれを有言実行した。
元旦からむっちゃうれしいことあった、明日はスタバでMac開いてドヤ顔で文章を、書く。
— miyusugimoto (@sugimiyu) 2020年1月1日
なななんと、
ぜんぜん知らない人が、どこからかこのブログを見つけてくださり、シェアしてくださり、「この感性がすきだ」と言ってくださった。神すぎる。なにこの神。
しかもこの投稿は結構前の、思い出すとまあまあ恥ずかしくなる時期のやつで。「自分をほんとうに晒すなら、過去のものも消してはいけない」と勝手に十字架を背負って残したまま投稿し続けていた。
嬉しくなりすぐコンタクトをとる私。テンション上がるとすぐコンタクトとりがちの私。現代ってすんばらしーね。私はSNSで繋がった大切な人がわりといる。
すこしだけやりとりをさせていただいて、自分が自分に向けて書いていた「過去の言葉」を、「いまこの方」がしっかり汲みとってくださっていた。私が残したものをひろうか捨てるか、どう感じてもらうかは誰かの自由なんやけど、いちばん私が喜ぶパターンのやつでした。本当にありがとうございます。
友達や知り合いでも、私の文章が好きだと言ってくれる人がいる。どこかの誰かから、純粋に好きだと言ってもらえたことは初めてのことで、嬉しさもひとしおなのです。
この瞬間に過去のじぶんは、今もいることに気づいた。思い出や記憶を覚えているのは今の私で、その記憶レベルはフロッピーディスクくらい。文章や音楽、絵、写真は創造した瞬間、そこに留まる。すこしも先に行きたがらずに、留まっていてくれる。空間を瞬間で切り取って、スクラップしたかのように。スクラップブックやから、いつだってページを辿って遡ることができる。残したまま、ずーっと遡ってもらえないスクラップもある。でもそれはそれで意味を為している気がした。
こうやって、誰かを通して過去の自分が遅れて追いついてくれた。そうなった瞬間、過去も今になる。過去の自分はいつだって一緒にいる。自分が気づきさえすれば。
過去の自分をずっと体にまとって生きている。だったら今が最高。