呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

承認欲求とかのうんぬん

承認欲求がなくなった。

そう、言いながらこうして文章を綴っていることはおかしいのかもしれないのだけれど。とにかく、こう見えて承認欲求がなくなった。SNSは大好きだけどね。

去年までのあたしはとにかく誰かに見ていてほしかった。焦燥感に駆られて、誰に宛てた言葉なのかさえ、わからないものが多い気がする。何かを表現したい欲だけでないく、それをだれかに見られていたかった。だから読み返すとどこか不自然なものもあったりする。伝えたいことが結局上っ面で、ちぐはぐだったりする。今更読み返して「気づかれないといいな」と思ったりした。

 

そんなふうに何かしらの評価を得たくて形にしていたあたしが、今は純粋に表現を楽しんでいる気がする。好きなことを気ままにして、それに賛同してくれる人がいたら、「なお、うれしい」それだけに尽きる。

それに文字を綴っていてよかったと思うのは、日ごろからこうして考えを吐き出すことで、読んでくれている人(きっとほとんど気の知れた友達だと思ってる)

が、あたしのことを理解しやすいとゆうこと。「こいつは相変わらずやな」とあたしのいないところで、想ってくれているような気がしてうれしい。

そこのあなた、これを読むことに時間を割いてくれて、どうもありがとう。

 

大切なものは、多ければ多いほうがいいというものではない。「いいね」と言ってもらえることもそれに然り。そりゃあ、それで何か大きなアクションがあれば、やぶさかでもないんだけれどもさぁ。そんなことはうぬぼれているし、好きなことを好きにしていることこそがそもそもの創造の幸せのはず。

落ち着いて、こう感じれるようになったのは、あたしの中の何が変わったのか。それはあんまりわからないのだけれど、「普通が幸せ」そんなふうに感じる自分の変化に驚いている。

 

日常を愛でることができる感性を、承認欲求で捻じ曲げたくないと思った。

「こう書いたらよく思ってもらえるかな」ー 去年までのあたしは、間違いなくそういう気持ちがお風呂の底にの塵のように沈んでいて、そんな湯水の中文字を綴っていた。そう思いだすと、過去のことは恥ずかしくなるんだけど、それもまとめて「日常を愛でる」のです。

 

振り返れば小さな変化がある。

気づかないうちは、いつものあたし。

気が向いたときに過去の自分をこうやって救いにいこう。

いまの自分がオッケーならば、過去にもオッケーがだせるから。

 

 

 

 

 

 

 

結膜炎でよかった

もう1か月も前のこと。

ゴールデンウィークの前日、両眼が真っ赤に充血した。

 

妹がその何日か前に結膜炎になっていて、それを覗き込んで見た日があった。それで、案の定うつってしまったらしい。しかも両眼。メガネ&すっぴんのホリデーが始まってしまった。

祝日で病院も閉まっているので、妹の目薬を借りていたけどほとんど効果なし。結局あたしはパンパンの眼にめがねで、よなよな飲みに出かけたり、講演会に行って白いスクリーンをじーっと見たりしていたりしたのでさらに相乗効果もあったと思う。

 

そんなゴールデンウイーク、妹がお嫁にいった。

おなかに赤ちゃんもいる。それが理由で結婚式は先送りになっていたので、庭でささやかなプレ結婚式をした。

夏みたいにカンカン照りの昼下がり、妹は旦那さんと車で新居へ向かうところを見送った。やっぱり少し感慨深いものがあって、前の日にちょっと泣いたりもした。ちなみに、泣きながら書いた旦那さんへ宛てた手紙は、まだ渡せていない。笑顔で新婚夫婦を見送ったあと、母がほろっと泣きながら家に入る姿を見て、母の背中がほんとうに小さく見えた。その日はあたしも母も力が抜けてしまい、わざわざパジャマに着替えて昼寝をした。

結膜炎で炎天下にいたせいで、眼はさらに悪化し開いていられないので、ずっと寝ていた。

 

そんなふうにして、妹の嫁入りは終わってしまった。

結膜炎のせいで、眼はぼろ負けしたプロボクサーみたいだし、何で涙が出ているのかもうわからなかった。

 

だからね、ねーねーは結膜炎でよかったわ。

 

 

小さいころは、「ねーねー」と呼ばれていたけど、お姉ちゃんになるのが嫌で、そう呼ばれることを拒否したことを覚えている。それからはずっと「みゆ」と呼び捨てされてきた。そのほうがずっと居心地がよかった。幼いころのあたしは、お姉ちゃんになることが、大人になるみたいで嫌だったのかもしれない。

 

母とねーねーが妹の嫁入りで感傷的になっていたのは束の間、気づけば毎週末帰ってきている妹夫婦。「今週も帰ってくんの」とか言ったりしていたら、今月末にはもう出産で里帰りしてくる。

 

 

新たな家庭が築かれていくことは壮大に思っていたけど、きっともっと身近なものなのかもしれない。時間の流れの中で、人が増えたり減ったりしていく。命の営みとは、一瞬で、永遠だ。

 

是枝監督の「家族になる」を観ながら、感慨深くなった仕事休憩なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

おかねのこと

お金をまったく使わなくなった。

平日に使うのは、300円もあれば十分になった。

 

すこし前のあたしならば、お昼ご飯代だとか、コーヒーをコンビニで買ったりだとかで1000円くらい使っていた。夜ご飯の買出しがあったらそれ以上。もちろん実家で暮らすようになったことによって、お金を使わなくなったことも大いにあるのだけれど、それよりさらにお昼ご飯に理由があると思う。さいきんのお昼はほとんど決まっていて、朝自分でおむすびを2つにぎってもっていく。それとコーヒーも専用のタンブラーに淹れて。おにぎり2つだけだとすこし寂しいので、食堂で60円のおみそ汁を注文する。たまに100円の小鉢も。あったかいお煎茶と、お漬物が無料でもらえるので、それで十分。トータルで160円の出費。それに帰り道にたまにオレンジジュースを買ったり、母に頼まれた食料品を買う程度。

家に帰るとごはんを用意してもらえることは、本当にありがたい。会社勤めになって運動量が減ったのに、ついつい食べ過ぎてしまう。

 

食生活がよくなったのか、お菓子や甘いものがあまりほしくなくなった。そのおかげもあって、さらに出費が減っている。堅揚げポテトの七味マヨ味と、業務スーパーにあるやたらオーガニックなバナナチップだけは見かけたら買ってしまう。

 

それに付け加えて言えることは、物欲がほとんどないこと。今持ち合わせている服は好きなものばかりで、新しく何かが欲しいとあまり思わなくなった。土日は誰かと会うことが多いので、そのぶんの出費はあまり変わらないのだけれども。

 

職場がびわ湖のすぐそばなので、この間は食堂でランチをしたあと湖岸をを散歩してみた。湖の水がたゆたう音と、風を感じながらぼーっとする。うたいたくなって、奄美島唄を唄った。心にもすーっと風が吹き抜ける。そうやっていい気分になっているときに、はっと、お金の使いかたは命の扱いかた、と思った。

 

質素に生活するのがいいとか、贅沢がだめとかではなくて、お金は命を扱う上でのただのツールに過ぎない。それに気づけず、ただ漠然とお金への心配事が尽きないことは、少なくない。お金に余裕がないときもあるけれど、それが楽しいか楽しくないかにはイコールじゃない。(びわ湖でぼーっとすることが、この上なく幸せなあたしの場合。)

 

自分や、誰かの命に対して、大切に思うように、お金も大切に扱えばいい。

あたしはきっと自然とそれができていて、結果的に心身ともによくなっている。肌のちょうしもすごくいいので、さいきんファンデーションをやめた。

 

でも土日はなぜか3人のひとに「ラーメンにいこう」と誘われ、2日間で3杯ラーメンを食べた。こんなことって、きっとなかなかないことだから、おもしろくなって。今朝は肌荒れが心配だったけど、思ったより大丈夫だ。でもおなかは間違いなくプヨってきたので、そろそろ引き締めたい。

 

お金、身体、いのち。

 

すべてイコールな気がする。

 

 

シマ5日目

最後の朝くらい、と思ってななちゃんと浜辺をのんびり散歩した。のんびり散歩しすぎて、時間がなくなった。大急ぎでパッキングをする。昨日そのまま寝たことをちょっと後悔。こうたろうくんが迎えにきてくれた時間に結局間に合わず、少し待たせてしまう。帰りの飛行機の便までななちゃんと一緒で、ということは奄美でも大阪でも一緒というわけ。お母さんにハグしてもらい、見送ってもらう。発車したらすぐ家に戻って行く姿を、あたし達が車から見送った。

 

こうたろうくんは、今日のお昼の便までのプランも考えてくれていた。雨の日プランの奄美海洋博物館へ。二階建ての小さな建物が、大浜海岸のすぐそばにあった。入ってみると大きな水槽があって、ウミガメもすいすい魚に混じって泳いでいた。奄美の海に関する展示がたくさんあって、おもしろかった。それにウミガメさんにえさやりもできる。職員のおじさんは「いい人」を絵にしたような感じで、というかムツゴロウさんっぽい。カメさんに一緒にえさやりをした。水槽には二種類のウミガメがいて、かわいい眼のカメさんと、ガメラのモデルにもなった恐いカメさんがいる。えさやりするのはかわいいカメさんのほう。6匹ほどいて、レタスを小さくちぎって投げてやると、バタバタと急いでえさを食べる。他に人もいなかったおかげで、カメさんに触らせてもらえた!うなじの皮膚のフワフワ感が半熟卵みたいで、きもちよかった。帰るころに大きな水槽をみると、死んでしまった魚を、カメさんと魚たちが取り合いしていて、自然の摂理を目の当たりにした。十分にごはんを食べていると他の魚を襲うことはないのだけれど、弱っている魚はたまに襲われてしまうんだとか。

 

ビッグⅡに立ち寄って、お土産を買う。あたしは黒糖味のナッツと、焼酎を買った。

 

あたしとななちゃんは、海洋博物館ですっかり時間を忘れていたけれど、もうお昼の時間だったのでこうたろうくんは急いで車を走らせてくれた。というかこうたろうくんは車を飛ばすくせがある。奄美の人も、やっぱり沖縄の人のようにのんびり屋さんが多いようで、運転もうちなータイムなのだ。

 

 

龍郷のある、元祖鶏飯の「みなとや」さんに連れて行ってくれた。鶏飯は西郷隆盛天皇陛下に献上するために立案した奄美の郷土料理で、鶏のスープのお茶漬けみたいな料理。「みなとや」さんは鶏飯発祥のお店で、観光客が増える夏にはお客さんが殺到するので逆にお店を閉めるらしい。こんなことある?鶏飯は2日目にも食べたけど、「みなとや」さんのほうがこってりしている感じで、ケンタッキー感がすごかった。

 

こうたろうくんの雨プログラムは続き、お昼の後は奄美歴史民俗資料館へ。戦時中のもの、それよりもっともっと前の縄文時代のもの、いろいろと展示してあっておもしろかった。それに人が全然いなかったのでゆっくり見ることができた。

すぐそばのゲストハウスで、ななちゃんのお友達が働いているので、最後にすこしお邪魔した。さっとお茶と黒糖のお菓子が出てきて、ゆんたく。シマの人の暮らしって感じだ。

 

そしてついに空港へ。奄美空港は小さいので、入口の目の前がすぐチェックインカウンター。余韻に浸るほどの距離もなく、すぐにチェックインした。搭乗が始まりそうだったので、そのまますぐ検問所へ。こうたろうくんとはここでお別れ。あたしはななちゃんと帰れるけど、帰り道一人で運転するこうたろうくんは寂しいだろうなと思った。

 

チケットの座席を確認してみると、なんとななちゃんと隣同士だった。ふたりでケラケラ笑いながら飛行機に搭乗して、その後はすぐ眠ってしまった。起きたらもう大阪上空で、家にさっさと帰るのが寂しくなってしまい、ななちゃんと空港内のマクドに入った。「楽しかったねえ」と黄昏たりして、ただ時間を共有した。そして、帰ってきたことをおかんに電話した。きっと心配していたのに、旅中は何も連絡しなかったのだ。ななちゃんとは、また会う約束をして別れた。(ななちゃんに今月会える!)

 

 

奄美から帰ってきたんだから、「もうやるっきゃない」そんな気持ちだった。帰ってきた大阪は寒くて仕方なかった。あたしはその後、京都の引っ越しを一人でやって、実家に帰ることになる。仕事もなかなか決まらず、ずっと住んでいた滋賀にも慣れず、しばらくの間は気を抜けば勝手に涙がこぼれることになる。

 

ちなみに今日は、新しく決まった仕事の4日目だ。最初はいっぱいいっぱいだった地元の生活に馴染み、いまはただ日々生活することを穏やかに感じる。毎日あちこちに出かけてていた自分とまるで別人のように、ただ犬と近所の散歩を楽しんでいる。妹のおなかはますます大きくなって、来月には家を出て、新しい家庭を築く。日々、いろんなことがある。それでも生きていく。目の前に起こることが、用意されたものなのか、望んだものなのかわからないことがほとんどだ。見当違いのこともしょっちゅう。でも、それでも。

 

「好きなことを仕事にしたい」。あたしはずっとそう思ってきていたけれど、夢はもっと大きくて身近な存在でもいいのかもしれない。日々を愛おしく思えたなら、それが一番なのだ。この一年は、まださらに生活が目まぐるしく変わることがわかっている。それがわかっているのなら、たのしく波乗りしたい。

 

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シマ4日目

やっぱり朝はぐっすり眠ってしまい、寝坊。ななちゃんも寝坊していて安心した。やっぱりお母さんの魔法がかかっている気がする。ふたりでのんびり朝ごはんを食べてから、マングローブのある住用まで、車で向かってこうたろうくんと落ち合う。

 

こうたろうくんはマングローブシーカヤックのインストラクターをしていたことがあって、色々と気を利かせて用意してくれていた。マングローブは海の満ち引きがあるので、時間を見ていかないとカヤックを引っ張って泥沼を歩いて帰るハメになるらしい。インストラクター1人に対して初心者が2人。手厚く指導してもらった。

初めてのマングローブは最高の天気で、とにかく風が心地よかった。奄美の湿った空気を含んだ風が、体を通って抜けていく。細い道も、海みたいに広い道もとりあえず清々しかった。河の上は涼しかった。途中流れが急なところは、ななちゃんがちょっとマヌケな漕ぎ方で遅れて追いつくかわいかった。

ななちゃんと「上がったらトイレ行こな」と漕ぎながら連れションの約束をしていたら、陸に着いてしまって、シーカヤックはおしまい。ほんとに女って平和だなと思う。気の合う人さえいれば、別になにもしなくても楽しいから。備品を返却して、道向かいのガソリンスタンドのトイレにさっさと行った。

 

お昼は近くのお蕎麦屋さんで済ませたら、雨が降り出すなか宇検村に向かった。お目当のカフェがしまっていたので、あたしが行きたかったアランガチの滝へ。奄美は山深くて、海も山も川もたっぷり。湿度が高いためどこでも苔むしている。村の商店に寄ると、髪を緑色に染めたイカしたおばぁがいてワクワクした。あたしは黒糖のケーキ、ななちゃんはたんかんを買った。こうたろうくんとは今日はここで別れることに。明日朝また宿に迎えに来てくれる優男。ハンバートハンバートを流しながら、ひたすら海岸を目がけて走った。

 

お目当のタエン浜についたので、持ってきていた水色のシーツを敷いてたんかんと黒糖ケーキを食べる。人のいない海にいてもたってもいられなくなり、ついに念願のすっぽんぽん海水浴。本当は昨日の加計呂麻島でもしたかったけど、水が冷たすぎて断念していた。ななちゃんはそんなあたしのことを笑いながら見守ってくれていた。泳いでいると、シマのおじさんが見えたので急いで浜に上がって服を着る。そしたらおじさんがこちらへやって来て、堤防まで海の案内をしてくれた。おじさんは毎日海岸のゴミ拾いをしてること、年々減っていたサンゴを復活させたこと、奄美の波の怖さや魚のことなど色々教えてくれた。しかも自分で海の家まで建てたらしく、招待してもらった。

 

ビーチから歩いて10秒、おじさんが1人で建てた小さな海の家がある。きれいにペンキも塗られていて、秘密基地みたいなかわいいおうち。本棚にホオポノポノの本があり、あたしがそれを知っていることをすごく喜んでくれた。おじさんがコーヒーを淹れてくれて、彼の生い立ちを聞いた。若い頃にシマを出てからは、ずっと東京で江戸前寿司の板前さんをしていたそう。たくさん深い話を聞かせてくれて、おじさんはまるで映画に出てくる人みたいだった。

 

「いい波もわるい波もない。いつだって海は海だし、どう捉えるかは自分。」

 

そんなことをおじさんは言っていた。また、会いたいと思う人が増えた。

 

おじさんと別れるころには日は沈みかけていて、最後まで車のあたしたちを見送ってくれた。また雨が降り出した夜道の中レンタカーを返却して、コンビニに寄って「楽しかったなぁ」と黄昏ながら宿に帰った。ななちゃんは飛び込みの宿泊で1泊だけだったけれど、宿が気に入りもう1泊することに。あたしたちが一緒に遊んでいたことを知ったお母さんが、すごく嬉しそうだった。ななちゃんはお母さんに「あんたは幸せになるっ」と太鼓判を押されていた。あたしもそう思う。

 

最後の夜だったから、2人で晩酌をした。昨日出会ったところなのにね。「旅は道連れ、世は情け」とはこのこと。ひとりで旅に出ると大体友達ができるけど、帰りの飛行機まで一緒の人は初めてだった。 

 

翌朝こうたろうくんが迎えに来てくれるのだけれど、あたしはパッキングをせずにそのまま寝た。ななちゃんはきれいに片付けてから寝た。

 

 

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おじさんの海の家



 

シマ3日目

 

前日までの予報の通り、朝から大雨。昼前に起きて、大雨の中壊れたキャリーケースで出発するりょうへいくんを見送った。

二度寝したり、娯楽室でだらだらしたり、この旅で初めてゆっくりひとりになった。

 

ゆっくりしていると部屋の掃除にお母さんがやって来て、やることもないのでシーツを敷いたり手伝った。お母さんは気さくで飾っていない感じがして、関西育ちのシマンチュ。関西弁なので話がちゃんとわかるし、ほっとする。

「今日はゆっくり休みなさい。ここはよく眠れるから。一人になるのがいいよ。あなたみたいな子は奄美に住むのが一番いい。ここで住みながらコンビニでバイトしたら?」

お母さんが話す言葉があたしを手に取るように理解している感じで、その予感は的中。

正直春から環境をすべて変えるつもりでいたので、自分を一度リセットするための旅でもあった。

奄美に住むのは結構いいかも。すごく空気が肌に馴染むというか。でも今年は実家に帰ることにしたんです〜。」

「実家?ああ、お母さんと妹さんいるんやね。そうやねぇ、今年は滋賀でゆっくり頭の整理をして人生をどうしていきたいか考えなさい。それで奄美に来たらいい。」

家族のことは何も話してないのに母と妹の存在を当てられてしまった。びっくりしていると、心霊体験治療所のことをたくさん話してくれた。世の中には、原因不明で身体の一部が腫れてしまったり、不幸ごとばかり続く人、自分を誰かに乗り移られた感覚がある人なんかがいて、霊によってそうなってしまう人たちをお母さんは治療しているんだとか。治療といってもそれらしい儀式をするわけでもないらしい。でもお母さんが霊を祓うと、目の前で身体がみるみるいい方へ変わっていくんだそう。口コミを頼りにたくさんの人が遠方から来られるらしいけれど、お金は一切もらわないのがお母さんの中の決まり。

 

「仕事としてはやらない。人が幸せになれることを教えるのが大好きなだけ。」

そう話すお母さんの眼差しが優しくて、あたしはぼろぼろ泣いた。

 

あたしは人に出会った瞬間や、すてきな場所にいたとき、何度か体の底が震えるような感覚になったことがある。今まで出会った人のなかでいちばん、体の底が共鳴していた。ちなみに場所部門は、沖縄の斎場御嶽だ。懐かしくて安心して、なぜだか涙が止まらなくなる。そんな貴重な体験と、安いから予約した宿で遭遇するんだから旅はふしぎ。

 

すっかり泣ききって、お母さんに昼寝を勧められたのでまた眠る。目が覚めた時、大雨が止んでいたので浜辺にでた。昨日とは違って波は大荒れ、海のいろんな顔を見れた気がする。集落を散歩して、近くのスーパーへ。店に並ぶものが全然違うから、旅先のスーパーが好き。島豆腐と、見たことないくらい大きな鯖の昆布締めのお惣菜を買った。宿でごはんを食べながら転職のことをしたあと、レンタカーを予約した。でも気分屋のあたしはどうなるかわからないので、とりあえず1日。

 

車を借りに宿を出たとき、今日から泊まりそうな女の子と、送りに来たであろうシマのお兄さんを見かけた。近くにいたお兄さんにだけ挨拶をした。車を借りたらもう夕方だったけれど、とりあえず適当に海沿いを走って山を上がってみると、ベストタイミングの夕陽が海岸から迎えてくれた。着いたそこは大浜海岸というところで、シマの中でも大きくて有名なビーチだったみたい。浜に座って夕陽の中でぼんやりしていると、遠くからさっきのシマのお兄さんと女の子が歩いてきて、お兄さんがあたしを見つけてびっくりしているのが遠目でわかった。女の子のななちゃんは、出ていったあたしに気づいていなかったらしいけど、話を聞くと旅行の日程も、行きの飛行機も、昨日加計呂麻島にいたことも、全部同じだった。ずっと近くで行動していたらしい。お兄さんのこうたろうくんはシマ在住の友達で、ななちゃんに奄美を案内していた。さすがに一人ではやる気にならなかったマンブローブシーカヤックに、明日一緒に連れていってもらえることになって、浜辺で小躍りした。あたしは本当にどこ行っても人に恵まれる。

 

車が別だったのでそのままあたしは先に宿に帰り、グラノーラを食べたりアキラくんと話したりしてゆっくり過ごした。しばらくするとななちゃんが帰ってきたので、お互いのことなどを2人で初めて話した。ななちゃんはあたしの向かいの部屋で、時間の約束だけして眠った。

 

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雨上がりの集落


 

 

 

シマ2日目

早起きして浜辺を散歩したいなあ、なんて思っていたけど案の定寝坊。

宿のベットはすごくよく眠れた。アキラくんはすでに農園に仕事に行っていて、りょうへいくんはまだ寝ているみたいだった。

賞味期限がぎりぎりで家からわざわざ持ってきたグラノーラにヨーグルトをかけて食べた。それにコーヒーとたんかん。たんかんは奄美のみかんで、いよかんとオレンジのハーフみたいな味がする。

 

宿のそばにもうさわちゃんが迎えに来てくれていたので、急いで乗り込む。今日は1日晴れそうで、天気がすごくよかった。奄美の海沿いは、島が入り組んだり目の前に島があったりして波が穏やかに見えた。どこまでも海が続いている感じがあんまりないから、あたしには琵琶湖のように見えて懐かしい気持ちになった。名瀬から1時間ほどかけて、港のある古仁屋へ。車ごとフェリーで向かう予定だったけれど、レンタカー屋さんで普通車にグレードアップしていたせいで車の積み込み料金がめっちゃ高くなって焦る。急いで加計呂麻島にふたつしかないレンタカー屋さんに電話する。本当は【古仁屋ー瀬相】の便に乗るはずだったけど、最寄りのレンタカー屋さんに繋がらなかったので、【古仁屋ー生間】の便に遅らせた。結局加計呂麻島に滞在が4時間ほどになりそうだったけれど、さわちゃんも気にしている感じじゃなかったから「気があうなあ」なんて思ったりしていた。

 

フェリーまで時間ができたので近くの高知山展望台へ。らせん階段でもっと高くまで登れて、目の前の加計呂麻島の大きさにびっくり。まだ少し時間があったのでお隣の油井岳展望台にも行った。景色を楽しむなら高知山、おにぎりを食べるなら油井岳って感じかな。古仁屋に戻って、港の駅でお昼に食べた海鮮丼がすっごくおいしかった。食べるのはやっぱりさわちゃんのほうが早い。気づけばいい時間で、急いでフェリーに乗り込んだ。昨日は曇っていたからあんまりわからなかったけれど、海が本当にきれい。船着場から飛び込みたいくらいの群青だった。

 

たしか15分くらいで加計呂麻に着いたと思う。船に乗っていた人は、あたし達以外みんなシマの人だった。大きな買い物袋や花束をもって、迎えの車に乗ったりしていった。レンタカー屋さんの看板が下がっていたのは、沖縄風の古民家。家の裏に回って何度か「すいませーん!」と呼ぶと、畑の向こうからかわいいおばぁが出て来てくれた。借りるときの手続きは免許証の番号を書いて、お金を払うだけ。あとは好きな車選んで乗ってね〜といった感じ。おばぁが「あなたたちにはピンクが似合うからこれ乗りなさい」とピンクの軽自動車を勧めてくれたけど、まったくエンジンがかからない。結局隣のグレーの軽にした。きっとあのピンクの軽はずっと故障したままな気がした。

 

海沿いに道が続いていて、民家があるだけで他にはなにもない。たまに自販機を見かける程度。勾配が急な道をぐねぐねドライブした。映画の「海辺の生と死」のロケ地もあった。本当に大きなシマで、このままではドライブだけで終わってしまいそうだったので、スリ浜に車を停めて外にでた。スリ浜は寅さんが劇中で死んだところらしい。砂浜でさわちゃんとたんかんを食べながら、それぞれの今日までのこと、悩み事とかをおしゃべりした。そのあとあたしは岩場をうろうろ歩いて散策して、瞑想したりした。浜のずっと遠くにさわちゃんがいて、何もしないままぼーっとしているみたいだった。すこし強くなった潮風を浴びながら、同じようにぼんやり黄昏てみると、幸せと孤独で心がいっぱいになる。さわちゃんは何を感じていたのかな。あたしが浜に戻った後は、一緒に落ちているサンゴで浜遊びをしたりしているうちに、あっという間に帰る時間になった。船を待っている間、シマバスの運転手さんとシマの男の子が声をかけてくれた。奄美の人は本当に気さくで、スレてない感じがする。男の子は、あの魚がオジサンという名前のこと、波がない日は港までウミガメが来ることなど教えてくれた。

 

「夜は鶏飯を食べに行こう」とさわちゃんが誘ってくれたので名瀬市内に戻って、評判の居酒屋さんに入った。お言葉に甘えてあたしだけお酒を飲んだ。最後は「関西でも絶対に会おうね」とハグしてお別れした。

 

宿に戻るとりょうへいくんとアキラくんがいて、だらだらとおしゃべりをした。アキラくんは酔っていて、12時前に急に「今から屋仁川行くっ」と言ってタクシーを呼びだした。屋仁川は鹿児島で二番目に大きい繁華街で、3人でスナックを二軒はしごした。店のお姉さんに「休みはなにしてるの?」と聞いたら「何もやることがないから釣りとか」と同世代のギャルが答えるのでおもしろかった。

 

酔っ払ったアキラくんはそのまま繁華街に消えてしまったので、りょうへいくんと2人で宿に戻った。りょうへいくんがカモミールティーを淹れてくれたので、ふたりで真夜中のティータイムをして寝た。朝から活動しっぱなしの1日だった。

 

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ウミガメがやってくる加計呂麻島の港