呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

シマ5日目

最後の朝くらい、と思ってななちゃんと浜辺をのんびり散歩した。のんびり散歩しすぎて、時間がなくなった。大急ぎでパッキングをする。昨日そのまま寝たことをちょっと後悔。こうたろうくんが迎えにきてくれた時間に結局間に合わず、少し待たせてしまう。帰りの飛行機の便までななちゃんと一緒で、ということは奄美でも大阪でも一緒というわけ。お母さんにハグしてもらい、見送ってもらう。発車したらすぐ家に戻って行く姿を、あたし達が車から見送った。

 

こうたろうくんは、今日のお昼の便までのプランも考えてくれていた。雨の日プランの奄美海洋博物館へ。二階建ての小さな建物が、大浜海岸のすぐそばにあった。入ってみると大きな水槽があって、ウミガメもすいすい魚に混じって泳いでいた。奄美の海に関する展示がたくさんあって、おもしろかった。それにウミガメさんにえさやりもできる。職員のおじさんは「いい人」を絵にしたような感じで、というかムツゴロウさんっぽい。カメさんに一緒にえさやりをした。水槽には二種類のウミガメがいて、かわいい眼のカメさんと、ガメラのモデルにもなった恐いカメさんがいる。えさやりするのはかわいいカメさんのほう。6匹ほどいて、レタスを小さくちぎって投げてやると、バタバタと急いでえさを食べる。他に人もいなかったおかげで、カメさんに触らせてもらえた!うなじの皮膚のフワフワ感が半熟卵みたいで、きもちよかった。帰るころに大きな水槽をみると、死んでしまった魚を、カメさんと魚たちが取り合いしていて、自然の摂理を目の当たりにした。十分にごはんを食べていると他の魚を襲うことはないのだけれど、弱っている魚はたまに襲われてしまうんだとか。

 

ビッグⅡに立ち寄って、お土産を買う。あたしは黒糖味のナッツと、焼酎を買った。

 

あたしとななちゃんは、海洋博物館ですっかり時間を忘れていたけれど、もうお昼の時間だったのでこうたろうくんは急いで車を走らせてくれた。というかこうたろうくんは車を飛ばすくせがある。奄美の人も、やっぱり沖縄の人のようにのんびり屋さんが多いようで、運転もうちなータイムなのだ。

 

 

龍郷のある、元祖鶏飯の「みなとや」さんに連れて行ってくれた。鶏飯は西郷隆盛天皇陛下に献上するために立案した奄美の郷土料理で、鶏のスープのお茶漬けみたいな料理。「みなとや」さんは鶏飯発祥のお店で、観光客が増える夏にはお客さんが殺到するので逆にお店を閉めるらしい。こんなことある?鶏飯は2日目にも食べたけど、「みなとや」さんのほうがこってりしている感じで、ケンタッキー感がすごかった。

 

こうたろうくんの雨プログラムは続き、お昼の後は奄美歴史民俗資料館へ。戦時中のもの、それよりもっともっと前の縄文時代のもの、いろいろと展示してあっておもしろかった。それに人が全然いなかったのでゆっくり見ることができた。

すぐそばのゲストハウスで、ななちゃんのお友達が働いているので、最後にすこしお邪魔した。さっとお茶と黒糖のお菓子が出てきて、ゆんたく。シマの人の暮らしって感じだ。

 

そしてついに空港へ。奄美空港は小さいので、入口の目の前がすぐチェックインカウンター。余韻に浸るほどの距離もなく、すぐにチェックインした。搭乗が始まりそうだったので、そのまますぐ検問所へ。こうたろうくんとはここでお別れ。あたしはななちゃんと帰れるけど、帰り道一人で運転するこうたろうくんは寂しいだろうなと思った。

 

チケットの座席を確認してみると、なんとななちゃんと隣同士だった。ふたりでケラケラ笑いながら飛行機に搭乗して、その後はすぐ眠ってしまった。起きたらもう大阪上空で、家にさっさと帰るのが寂しくなってしまい、ななちゃんと空港内のマクドに入った。「楽しかったねえ」と黄昏たりして、ただ時間を共有した。そして、帰ってきたことをおかんに電話した。きっと心配していたのに、旅中は何も連絡しなかったのだ。ななちゃんとは、また会う約束をして別れた。(ななちゃんに今月会える!)

 

 

奄美から帰ってきたんだから、「もうやるっきゃない」そんな気持ちだった。帰ってきた大阪は寒くて仕方なかった。あたしはその後、京都の引っ越しを一人でやって、実家に帰ることになる。仕事もなかなか決まらず、ずっと住んでいた滋賀にも慣れず、しばらくの間は気を抜けば勝手に涙がこぼれることになる。

 

ちなみに今日は、新しく決まった仕事の4日目だ。最初はいっぱいいっぱいだった地元の生活に馴染み、いまはただ日々生活することを穏やかに感じる。毎日あちこちに出かけてていた自分とまるで別人のように、ただ犬と近所の散歩を楽しんでいる。妹のおなかはますます大きくなって、来月には家を出て、新しい家庭を築く。日々、いろんなことがある。それでも生きていく。目の前に起こることが、用意されたものなのか、望んだものなのかわからないことがほとんどだ。見当違いのこともしょっちゅう。でも、それでも。

 

「好きなことを仕事にしたい」。あたしはずっとそう思ってきていたけれど、夢はもっと大きくて身近な存在でもいいのかもしれない。日々を愛おしく思えたなら、それが一番なのだ。この一年は、まださらに生活が目まぐるしく変わることがわかっている。それがわかっているのなら、たのしく波乗りしたい。

 

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