呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

言葉を殺すな

 

少し前に、自転車で横断道の信号無視した女の子2人を、すれ違いのおばちゃんがすごい怒鳴って叱っていたところを見た。

大阪のおばちゃんて、強いなあ。なんて思ったりしながら。

 

 

相変わらずいつでも色んなことがあるけれど、最近それに輪をかけて、色んなことがある。想像もつかない「ま坂」なことばかり。

 

自分自身や、家族もばたばたしていて、気持ちが落ち着いていないのか、ほんっと世の中のおかしいと感じるところによく出会う。

工事中の駐車場でおじさんがちゃんと誘導してくれなくて滞っていたり、

予定がまさかって感じで変わったり、

とある友達とはじめての小さいケンカをしたり、

病院の先生が妹の薬の処方を間違えたり。(これはブチ切れた)

とりあえず、「あれ?」と感じることが多くて。

 

その度にどこかで出会った言葉を思い出す。

ー思ったことを言わないということは、その時自分を殺している。ー

これは「イエス」とか「ノー」だけじゃなくて、「こう思う」とか「だいすき」とかハグすることとか、全部のこと。

 

人懐っこい性格なので、あまり会話に困ったことはないけれど伝えることの難しさを考えている日々。

最近あたしの身に起きた「へんなこと」に対して、自分の気持ちを殺さずにいたい。不信に感じたときは、ちゃんと向き合いたい。「大人になったら誰も叱ってくれない」ってよく言うが、これは全然好きじゃない。

 

 でも正直なところ、あれは言いすぎたと思うこともある。そう思っているときは、たいてい心のままに出てきた言葉を、無意識に吐き出しているとき。あとではっと目がさめる。つまり自分をちゃんと制御できていないわけで、溜まったものが途端に溢れ出す。

自分は素直な方だと思っていたけれど、結局普段流れていないから溜まるのだ。平和的なオープンマインドであることは、ほんとうに1つずつ立ち止まりその度に自分を信じてやらなくてはならない。誰でも持ち合わせている陰の部分、どうにもできないのならまずは自分がそれに開き直ってそれを形にしよう。

 

「ああ言えばよかった」

「言いすぎた」

そんな振り返りはきっとずっと続く。他者へ、自分へ、心に愛がある限り。

 

 

今日はめずらしく少し短いですが、心の整理はここまで。

最近、起きたらヨガの太陽礼拝のポーズを2回だけやります。これを習慣化したい。

 

 

1週間SNS断ちしてみました。

 

SNS断ちをやってみよう」と思いついたのは12月21日のこと。

翌日の22日から29日まで、

facebook

Instagram

twitter

このSNSトリオのアプリを携帯から消しました。

 

そもそも、携帯を触っている自分があんまり好きじゃなかった。なんか、時間を消費しているような気がして。やりたいことだって、挑戦してみたいことだってたくさんあるのに気づけば電車でも携帯を触っている。携帯は私の生活に近すぎる存在になっていました。中学生から携帯を持たせてもらって、形は変われどずっとネット上での繋がりが存在してきていました。だからSNS断ちも、1週間も本当にできるのかと半信半疑のままスタート。そうそう、あたしがソーシャル上に登場しなくなったら誰かが心配する気がして(笑)、さよなら宣言もしておきました。

 

始めてみるとすぐにいくつかのことに気づけました。それに、意外と大変じゃなかった。電車では本を読み、家では観たかった映画をゆっくり観る時間を確保できました。大切な人に手紙だって書けました。ただ想定外だったのはがっつりYouTubeにハマったこと。「いや、これもソーシャルやん」と思いながらYouTubeは自分が投稿している訳でも、知り合いがいる訳でもないので『テレビ』の仲間にすることにしました。普段テレビ観ないからいっか、って感じで。

ちなみにあたしがハマったユーチューバーは「東海オンエア」さんです。めちゃくちゃにおもしろい。

 

以下、あたしがこの1週間に気づいたメモ。

 

 

ー携帯を触ることは身体の生活を営むことではなく、娯楽の一部であること。ー

あたしの場合、無意識に携帯観てる時間があまりにも多くて。トイレ行くみたいに無意識にInstagram見てたんですよね。純粋にやべーと思いました。

 

ー多くの情報を眺めてきた1秒1秒が、だいたい無駄。ー

「今日はあの記事がよかったなあ」なんて気持ちを寝る前まで引きずることなんてほとんどなくて、何をみてたかなんてほとんど覚えてない。

もちろん感動したり嬉しくなったり、為になることもあるけどそれってあったらラッキーくらいのレベルなのかも。

 

ー題名のない料理とはちみつレモン。ー

この期間にすごい風邪をひいて。そのままフラフラ職場に行ったら、お姉さんがあったかいスープみたいな煮物みたいな料理とはちみつレモンを作ってくれたんです。こんなに心があったかいことはないと久しぶりに思いました。目の前の人の優しさに対して、どこか他人事になっていた自分がいたかもしれません。

 

 

とまあ、いいことずくめだったんですが最後の方はちょっとさみしかったです。遠いけれど、SNSがあるからお互いを認知し合っている人のこととか、よく考えました。元気にしてるかなーって。そう思うとやっぱりSNSの恩恵もすごいのです。1週間ぶりにアプリをインストールしなおしたら、もうみんなのクリスマスのことばっかりで。あったかい気持ちと、空腹に山盛りラーメン食べたみたいな気持ちになりました(笑)

 

あたしはこれを機に、自分の時間の使い方について見直せたかも。1週間SNS断ちした後は1週間風邪で寝込み、何かの毒出し期間だったのかもしれません。結局はあたしが甘いだけなのです。やっぱりあたしはSNS好きなので、うまい距離感で付き合っていきますね!ただ、自分の感じたことをすぐアウトプットしてしまうのは、即席ラーメン作るふうにも思うようになりました。だから、今年は纏まった文章をここで綴っていけたらと思います。

 

読んでくれている人、今年もよろしくね。

いつも有難うございます。

 

実優

うまれて初めてフルヌード撮影したその後のおはなし

こんにちは、

10月に撮影をしてから2ヶ月後ひょんなことから変化があったので、その後を記録しておきます。

 

知り合いのブランドがスニーカーを作ったことをfacebookで知りました。

そこでお話をいただいたのがその靴を、フルヌードで履くというモデルです。

おもしろい人たちなので、そもそもの発想がネタ。

自分の中で密かに yes to everything  とテーマをもって生活していたので、思い切って協力させていただいたのです。

 

何度か行ったことのあるカフェがスタジオになっていて、久しぶりと初めましてを交わして早々に撮影へ。自分のメンタルのタフさには我ながら驚くけれど、何も緊張せず気づいたら脱いでた。ほんでスニーカー履いてた。真っ白のシーツの上に横たわってすっぱだかの涅槃像みたいなあたし。初めてのあたしにプライドも自信も何もないので、こまかくイメージを教えてもらいながら撮ってもらいました。シンプルに楽しかったし、撮った写真はやっぱり面白かった。じぶんのすっぱだかの写真をまじまじ見ると、羞恥心とおバカ具合に呆れて笑うしかない。でも、最中もその後も後悔は全くしていませんでした。

その1週間後にまた連絡をいただき、今度はアパレルのモデルをさせてもらうことになりました。今回は、これから劇団四季出ますみたいながっつりのメイクで。もちろんそんなことあたしにできるわけないので、同い年の女の子が仕上げてくれました。前回と違ったところはいろんな服を羽織って撮影したこと。数も多かったからがっつり。クールなイメージだったのでなるべく真顔でがんばりました。気の抜けた真顔と、モデルさんの真顔は全然違うから本当にすごいです。顔から足の指先まで、自然に装うということの難しさ。こんなことも、実際その立場になってみるとわかることなのかも。完成した写真を見たときの恥ずかしさは、劇団四季バージョンのほうが大きかったです。自分の知っている自分じゃなさすぎて、もう(笑)

 

 

ご協力させてもらうことを決めた時からずっと思っていたことは、

自分の価値なんてない。

ていうか、自分の価値は自分で問うものではない。

 

誰かに求められて、それが自分の中で嫌じゃないなら適役のひとつなのかもしれません。「嫌じゃないか」この判断にはシビアになったほうがよくて、嫌なものなら断るべきだと思います。自分が「まさか」と思うものこそ実は好きだったりするのかなあ。あたしのフルヌードはそれに近いので。もともと女性らしいことが苦手で(それは今も)カメラの前でポーズをとるなんて思いもしなかった。

 

結局自分の知っている自分なんてそんなもん。

 

これからどうなるのか、親があたしに向けてくれていたような信じる気持ちをもって自分を応援してやりたいものです。

 

 

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こんばんは

ぐっと冷え込んだ京都の夜から書いています。

先日の記事からはや2かげつ。

「何をしていたのか」と自分に聞き返してみると、まあまあけんめいに生きていました。

会いたい人にだけ会い、弱った心を励ましてもらったり慰めてもらったりもした。

 

この2週間前はどうなることかと心配していたことが、すこし大丈夫そうな気がしてきてやっとほっとしている。

「生きていたら大丈夫」 そんなことを友達には簡単に、ほんとに心からそう思って言えるのに自分のことだけは本当にわからない。

がらっと状況が変わるとき、やっぱり欲張ってぜんぶを欲しがってはいけない。体がついていかないなと思った。だから今のあたしは少し仕事にセーブをして、自分や人との信頼関係を確認しあっている。どんなに寂しさを共有できたところで、本当の「こころの穴」はきっと死ぬまで埋めてはいけない。不安も、安心も、よろこびも全部「そこ」からきているから。

 

相変わらずさみしがり屋のあたしですが、すこし自分でさみしさを慰めてやれるようになったかもしれない。

部屋には備え付けのダウンライトがあって、カンで買った電球をつけてみるとぼやっとオレンジ色のうす暗い、あたたかい部屋になった。こんなふうに自分だけの空間も愛でてやりたい。

 

きっと、ずっとここにいることはないのだから。

 

 

 

 

 

 

うまれて初めてのモデルでフルヌードに挑戦したおはなし


 ただ無意味なことをしてみたかったのかもしれない。ただ自分の好奇心が導くほうへ。素直に従った結果です。25歳の夏はたくさん考えたり自分に向き合うきっかけがあった。そしたらもうどうしたらいいのかわからなくなった。でも心のどこかでわかっていたのは、この時間も「今」でしかなく、どんなに抵抗しても続かないということ。そんな「今」を少しでもクリアーにしたくって、「今」のあたしを遺してみたいと思いついてしまった。考えこむことが多かったからこそ、自分のために動かなくてはと誰かに背中を押されたような感じ。こんな思いつきにはちゃんときっかけがあって、高校の同級生にプロカメラマンをしている友達がいた。彼の写真はインスタグラムでずっと好きで見ていて、何よりも彼の写真に対する愛がいつも伝わってきていた。もしかすると、彼との繋がりなしではフルヌードを撮ってみたいという発想もなかったのかもしれない。彼に連絡してみたら二つ返事でオッケーしてくれて、あっという間に日取りと撮影場所も決まってしまった。

 

 モデルの知識なんて何もないけれど、あえて何も見ないでおこうと思った。偽りのない、今の自分を写したかったから。食事は少しだけ意識して、コンプレックスの体毛もほとんどそのままにした。剥げたペディキュアだけは当日の朝気がついて、急いでダークブルーを塗り直した。もちろんノーメイクで、結局ほとんどいつも通りというわけ。彼と会うのは卒業以来で7年ぶり。指定された集合場所へ向かうまではさすがのあたしも少し緊張した。車内では高校から今までの話、あたしの今日までの動機などゆっくり話した。彼も少なからず緊張していただろうに、穏やかに迎えてくれて本当に感謝している。

 

 雨予報のなか、奇跡的に晴れた2時間。何もわからない丸投げのあたしに、ていねいにアングルやイメージを教えてくれた。たまに撮った写真を見せてくれ、あたしをリラックスさせようと彼は優しかった。実はカメラの前で自然な笑顔を作るのが本当に苦手で、成人式の時はカメラマンに中断されたほど。大きな口でがーっと笑うか、変顔しかできないとゆう。でもこの日は大きなカメラを向けられても、彼と自然が作り出してくれた空気感によって、いつもとは違った自分がいた。何がって楽しかったし、まさか高校の同級生とこんなことしてることがおもしろくて笑えた。すっぽんぽんになるときも、何にも不安はなかった。(高校の同級生なのに!)そろそろ終わるタイミングで急に風が吹き出してきて、急いで帰り支度をした。天気すらも味方してくれたことを実感して、また嬉しくなった。濡れたままの体で車に乗り込み、銭湯へ。冷えた体を温めながら、ぼんやり不思議な時間を思い返した。ご飯を食べていろいろとおしゃべりに花を咲かし、早めに解散した。帰宅して、しぬほど寝た。うまれて初めてのことはきっとなんでもいい疲れがあるのかも。

 

 時間が経つほど自分の行動力に笑えてきて、恥ずかしくて、なかなか500枚のデータを見れなかった。やっとゆっくり見てみると、彼が本当に全力でシャッターを切ってくれているのがわかる。本当に感謝でいっぱいになった。あたしがおばあちゃんになっても、絶対ずっと思い出す1日になる。まだこの写真たちをどうしようかは何も決めていない。でもこのまま仕舞っておくことは少し違う気もする。もし、何かアイデアがあれば教えてください。

 

 いま思えば、ただ無意味なことをして、それでも生かされていることを感じたかった。嫌になるくらい、自分のままでしかいられない自分と、もっとぶつかってみたかった。やわらかく、自分を受けとめたかった。これから先、どんなことを感じ生きていくかは誰にもわからない。でもひとつだけ、めっちゃはっきりわかったこと。もう、うそはつかない。どんなうそでも。見ないように、殺してきた自分を今度こそ生かそう。ストイックに自分を癒すと決めた。感じたものを、思いついたことを、殺さないと決めた。ちいさな自分を慰めてほしかったのは、自分自身だ。そんなことにも気がつかず、いろんな人を利用してきたあたし。不器用で弱いけど、もっと真っ直ぐに生きますから。あたしを見捨てるな私。寂しさと孤独を原動力に、愛を。その原動力たちにも愛を。


最高の1日を遺してくれたカメラマンのやまげん、

自分として生きる背中を見せてくれた「ピンヒールははかない」の佐久間由美子さん、

いつも私と真っ向から向き合ってくれる家族、

そばで見守ってくれている恋人、友達、みなさまへ、

たくさんたくさんの愛と感謝をこめて。

長生きしてください。

 

 

私は今日もあたしを生きます。


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:気遣いを。 9/29

こんにちは、

3ヶ月ぶりのこのシリーズです。

本日は「気遣い」について。

 

ことの始まりはこちらから。

 

thanksallmiyu.hatenablog.com

 

 

 

「どんな自分であろうが、自然体なのが一番いいに決まってる」

 

そんなふうに思うきもちは、人より少し強いかもしれません。

昔から着飾るのが苦手で、日焼け止めが塗れなくて、裸足がすきで。

 

「よく気がきくね」と言われるようになっていたのは中高生のころから。

ほんまかどうかわからへんけれど、気がきくって結構言われるんですあたし。

学生のころに夢中になったものは、部活のマネージャー業でした。きらきらしているみんなをそばで応援して、お手伝いすることがシンプルに楽しかった。黒子のようにせかせかと動き回っていました。確かに気を配って、誰かを応援することで自分を応援していました。

 

最近いろんなことで自分というものについて考える機会を与えてもらっています。

とある日、知り合いのお姉さんが「みゆちゃんは気ぃ使いいやもんなあ」と言いながらたくさんハグしてくれた夜がありました。どこぞの居酒屋で(笑)なんのこっちゃかわからんかったけど、なぜか涙がとまりませんでした。なんだか安心して、あたしより小さいお姉さんの胸を、たくさん借りました。不思議な夜でした。

 

なんとなくその夜からお姉さんにぽろっと言われた言葉がひっかかって、そいつがあたしにアピールしてきます。

子どものころや、何気ない日常たち。見ようとしてこなかった当たり前の世界を、遡って見つめることができました。

なんか、いろいろ感じてたことがあったっぽい。

 

 

「あたしって気遣いなんかなあ」ときくと、「そうやで」とさえちゃんは言っていました。

そんな自分の存在にまったく気づいていなかったあたしは、秘密を握られているような気持ちになって急に恥ずかしくなりました。

そ、そうやったんや、、、、し、知らんかった。

 

ほんとはさみしがり屋なこと、誰も気づいてへんと思ってたのに。

ほんとはハグしてほしいこと、誰もきづいてへんと思ってたのに。

ほんとは大丈夫って言ってほしいこと、誰も気づいてへんと思ってたのに。

ぜんぶ気づかれてた、てゆうか周知の事実やったんかも。

なんやこれ(笑)やばいです。

本当の自分とうその自分、両方いるのは当然やけど肩肘張ってるのがばからしくなってきた。

 

 

「どんな自分であろうが、自然体なのが一番いいに決まってる」

そう思ってきた自分がいちばん不自然やったりして。作ろうとしてきた自然体、まるできれいに植えられた、お花屋さんのプランターみたいなあたし。悪くは思われへんかもしれへんけど、そのプランターがぜったいええんやって言って買ってくれる人はいるのでしょうか。

クセのある人になりたいんじゃないし、特別なことをしたいわけじゃない。

でも自分の中の見てこなかった部分を、もっと見つめてみたい。自分の知らない自分がまだいそうだから。

 

そんなことを思いついたら、わくわくしてきました。

やっぱり、まだまだ自分がいるようです。

 

自分を愛することができないなら、自己嫌悪を反動に、もっと自分にアツくなってやろうと思いました。

本気で、自分を癒そうと思いました。

 

癒すってゆうのは日々の生活をサボったりするんじゃなくて、

自分にいろんな可能性を見出してやることやと、そう思います。

 

 

自分の今を、将来を、誰にもあずけるな。

 

孤独を迎え入れて、生きよう。

 

どうせべつべつなんだし、「ひとつ」なんだし。

 

 

 

 

 

 

9月21日

線路沿いの うちの家

線路向きのベランダから 電車の音と風が吹き抜ける

 

ぼんやり何もしないをする 木曜日

 

身体にはたるい疲れが残っているけど起きたみた

 

 

ふとあの人の詩を読んでみる

 

ずるいなあ

 

ここにいないのに ここには私だけの孤独があるのに

気づけばそばにいる あの人の言霊たち

 

あの人の優しさの鏡越しに 自分を見て

なまぬるーい自己嫌悪

そんな私であることすら その人はわかっている

 

考えることを放棄しかけている自分は いつぶりだろうか

私のなかに静かさが響いてなんか悪くないし久しぶりの感覚

 

感じているようで考えつづけていたらしい

 

 

なんにもできなくていいや

 

愛せるものがあれば

 

 

ケータイ置いて、ノーブラで散歩しよう