:気遣いを。 9/29
こんにちは、
3ヶ月ぶりのこのシリーズです。
本日は「気遣い」について。
ことの始まりはこちらから。
「どんな自分であろうが、自然体なのが一番いいに決まってる」
そんなふうに思うきもちは、人より少し強いかもしれません。
昔から着飾るのが苦手で、日焼け止めが塗れなくて、裸足がすきで。
「よく気がきくね」と言われるようになっていたのは中高生のころから。
ほんまかどうかわからへんけれど、気がきくって結構言われるんですあたし。
学生のころに夢中になったものは、部活のマネージャー業でした。きらきらしているみんなをそばで応援して、お手伝いすることがシンプルに楽しかった。黒子のようにせかせかと動き回っていました。確かに気を配って、誰かを応援することで自分を応援していました。
最近いろんなことで自分というものについて考える機会を与えてもらっています。
とある日、知り合いのお姉さんが「みゆちゃんは気ぃ使いいやもんなあ」と言いながらたくさんハグしてくれた夜がありました。どこぞの居酒屋で(笑)なんのこっちゃかわからんかったけど、なぜか涙がとまりませんでした。なんだか安心して、あたしより小さいお姉さんの胸を、たくさん借りました。不思議な夜でした。
なんとなくその夜からお姉さんにぽろっと言われた言葉がひっかかって、そいつがあたしにアピールしてきます。
子どものころや、何気ない日常たち。見ようとしてこなかった当たり前の世界を、遡って見つめることができました。
なんか、いろいろ感じてたことがあったっぽい。
「あたしって気遣いなんかなあ」ときくと、「そうやで」とさえちゃんは言っていました。
そんな自分の存在にまったく気づいていなかったあたしは、秘密を握られているような気持ちになって急に恥ずかしくなりました。
そ、そうやったんや、、、、し、知らんかった。
ほんとはさみしがり屋なこと、誰も気づいてへんと思ってたのに。
ほんとはハグしてほしいこと、誰もきづいてへんと思ってたのに。
ほんとは大丈夫って言ってほしいこと、誰も気づいてへんと思ってたのに。
ぜんぶ気づかれてた、てゆうか周知の事実やったんかも。
なんやこれ(笑)やばいです。
本当の自分とうその自分、両方いるのは当然やけど肩肘張ってるのがばからしくなってきた。
「どんな自分であろうが、自然体なのが一番いいに決まってる」
そう思ってきた自分がいちばん不自然やったりして。作ろうとしてきた自然体、まるできれいに植えられた、お花屋さんのプランターみたいなあたし。悪くは思われへんかもしれへんけど、そのプランターがぜったいええんやって言って買ってくれる人はいるのでしょうか。
クセのある人になりたいんじゃないし、特別なことをしたいわけじゃない。
でも自分の中の見てこなかった部分を、もっと見つめてみたい。自分の知らない自分がまだいそうだから。
そんなことを思いついたら、わくわくしてきました。
やっぱり、まだまだ自分がいるようです。
自分を愛することができないなら、自己嫌悪を反動に、もっと自分にアツくなってやろうと思いました。
本気で、自分を癒そうと思いました。
癒すってゆうのは日々の生活をサボったりするんじゃなくて、
自分にいろんな可能性を見出してやることやと、そう思います。
自分の今を、将来を、誰にもあずけるな。
孤独を迎え入れて、生きよう。
どうせべつべつなんだし、「ひとつ」なんだし。