呼吸器のようなもの
ブログのタイトルを、しれっと変えました。
「心から笑っておくれ」から、「呼吸器のようなもの」へ。
文章を生み出す行為は、私にとって呼吸を整えること。気づけば中学生からずっと何かしら文章を残してきていて、それは、日々をすごしていくために必要な酸素ボンベでした。
書くこととライフが強く繋がっていることに、今更気づきました。
このブログを始めたのは3年ほど前なのかな。そのころ、私の文系マインドを目覚めさせる友達に再会します。彼女は文章を書いたり絵を描いたりしていて、それをさまざまな形でオープンにしていました。私にとって描いたり書いたものをみせるなんて、パンツを見せるくらいの気持ちで、もう尊敬っていうか畏敬の念みたいな。
そこからこんなふうにしてブログにアップすることが始まりました。
タイトルを「心から笑っておくれ」にしたのは、私の大切な人たちが幸せでいてほしいなってゆう感じだった。それで、その時によく聴いていたつじあやのの歌詞の一部をもらいました。
最初のほうは誰かにに宛てたメッセージみたいなのを書いてばかり。人を励ます自分に酔った、マスタベーションみたいな文章ばかりです。人のことを気にするふりして、自分のことから目を背けておりました。このころ書いたものは消したいし非公開にしたいんやけど、これも人生のネタなので晒しておきます。それにいつかこの文章たちが、私を励ますかも。
ブログに書くようになってからしばらくして、すごくもがいていた時期があって。それで、もう何もかもどうでもよくなって、さらけ出したくて。じゃないと、生きていけないような、そんな時期があって。自分自身のこと、父親とのこと。ああ、それで、フルヌード撮ったりも。笑 そろそろまたやっとこかなあ。笑
それに、あの人が言ってくれていたように、自分の書いてきたものを紙媒体にしてみたいかも。
そのために、ここでひたすら残していくことからかなあ。
そんなことで、私は誰かに心から笑っていてほしいなんて求める分際じゃなくて。
そんなこと思ってたら自分にフォーカスしなさいよって。やーっと気づきました。
誰といても自分は常に孤独だし、1つになれないからこそ世界は美しくて成り立っている。
早く還ってしまいたいと思うことはタブーで、何も生み出さない。だったら、私は呼吸器があるんだから、それでここでささやかに生みだすよ。人間として生きた証。インスタグラムも生きた証やけど、もっとディープなところまで自分をまだまだ深掘りしたい。
死ぬまで老後のネタ作り!
:元気を。 5/3
あーあ。
GW日連続更新、サボりにサボりまくり、また今日も3本書くことに。
ぎりぎりになってやるのが私です。
ことの始まりはこちらから。
きょうは元気ということば。
最初に気になったのは「氣」という旧字体。私はスピリチュアルなこともすきなんだけど、そーゆう人たちがよく使っているイメージ。あんまり気にしたことなかったけど、これを機に調べてみました。
誰かのブログより以下引用。
「 氣 」を使うことでエネルギーが放出されているイメージができ、本来あるべきエネルギーの流れが生まれます。
氣(エネルギー)というのは、良かろうが悪かろうが常に全身を流れ、外に出ているんです。むしろそれが自然な状態。
ほほーん。なんとなく、腑に落ちるような。良かろうが悪かろうがエネルギーが巡っているということは、なんとなくいい気がします。あ、いい氣がします?まあそうゆうことらしい。
「元気でいる」ということは、なかなか難しい。お酒を飲みすぎたらむくむし、怠いし、ちょっと冷えたら風邪ひくし。最近の私の年末年始は3年連続風邪とかインフルエンザをしています。今年なんて大晦日がいちばん熱が高かったので、紅白もまったく見れなかった。すべては私の身体さんがなさっていることなので仕方ないんですけれども、、みたいな感じでただ受け入れて休むしかない。
体調をくずすことにネガティヴなイメージがあったけれど、プリミ恥部さん曰く、体調不良は身体からの愛であると。確かに良くしようとしようとしてででいる作用であったり、しんどくなることで思っていたよりも疲れていたことに気づく。体調をくずして寝込んだあとは大体痩せて、目がいつもよりくっきり開いて、身体の中からすっきりした感じがする。東洋の考え方なら、熱をだして身体の中の詰まっていたものを解毒したということ。西洋の考え方はその症状を薬を飲んだりして抑えることが大切なので、風邪ひとつにしても全然アプローチの仕方がちがう。
ちなみに私は解毒派なので、たぶんインフルエンザだった1週間の高熱も自然治癒で治したことがある。治った後はげっそり痩せたけど、すっきり具合が倍増した。ただ、その1週間はめちゃくちゃしんどかったし、これで免疫ができたと思ったら翌年またかかって寝込んだ。今度は新薬(ゾフルーザ?)を使ったけど、合わなかったらしく熱はすぐ下がっても長い間倦怠感がすごかった。
という、私の最近の体調事情。
身体が元気でいるには、とにかくたっぷりの睡眠と少食だと思う。私はこれが一番合っているから。食べるものはそこまで気にしてない。ただ、食べたいものを食べたいときに。揚げ物も、ポテチもカップ麺も大好き。でもお腹が空いた時に何を食べたいか真剣に考えるとそこまで偏ったりしない気がする。
とにかく好きなものを好きな時に「めっちゃおいしすぎる!!!」ぐらいのテンションで食べられていたら、なんでもいいエネルギーになると思う。笑
「添加物だから」とかの理由で好きなものを食べないで我慢してるほうが、よくない気もするし。私はね。人には人の乳酸菌。
つらつらと書きはじめてみたら今日の着地点は、私の健康法でした。なんか、すみません。笑
お時間つかって読んでくださったかた、ありがとう。
今年の目標は背中をやわらかくすることです。がんばります。
今の日記
GW更新4回目にしてネタがないという、日記。
書こうと思えばいくらでも見つかるんですけど、ぴんとくるものがないので、ただネタがないことを嘆きながら平成さいごの今日をふりかえります。
いまはまもなく16時のスターバックスにて。人はおもったよりも少なくて快適。
i am robot and proudmをだらだらと聴いてタイピングでリズムを刻んでいます。
ゆうべは夜中まで妹夫婦とカラオケして、11時にあわてて起床。なぜなら、NHKの「ゆく時代くる時代」観たかったから。おかーちゃんは仕事、妹家族は朝はよからBBQに行ったらしい。若い。小一時間、テレビ観ながら3回分の洗濯を干しまくる。途中、スヌーピーのパズルゲームをしたりしてサボる。甥っ子の服も干す。よだれかけ多すぎ。ちっちゃくてかわいい。
ニュースもぼーっと見て、退官の儀が17時かららしい。その時間までに家に帰るか今も悩み中。
コーヒー淹れて、きのうの残りのロールキャベツとパンを食べる。最近なぜかますます痩せて、体重計に乗りながら「マジか」って1人で声にでるくらいびっくりした。痩せて特に体がだるい感じはしないし、あんまり気にしてないけども。きのう妹に聞いたら、私はまあまあガリガリに見えるらしくそれがちょっと気になるなあ。
東海オンエアの動画を1本だけみて、車をはしらせる。近くのスターバックスまで車で20分。ド田舎のわりにスタバ運はよかった。近所にお気に入りの喫茶店がほしいけど、何がってwi-fiが最強なので結局スタバになってしまう。小雨がふっていて、家の前の山脈は上半分だけすっぽり雲のなか。しっとりモヤモヤした空気で、晴れと同じくらいすき。
お店でアメリカーノをマグカップで注文する。まわりを見たらみんな紙カップ。店員さんがもっとマグカップを勧めたらいいのになと思う。コーヒーがいちばんよろこぶのは、マグカップでしょう。
まったく返していなかった友達のLINEをやっと返す。携帯さわるくせに、人とコンタクトをとりたくなくなる謎の現象。私だけかな?GWはほとんど予定を入れていないでおいてよかった。「オシャレの向こう側まで攻めた服で堀江でひたすらスナップ待ちする」っていう約束断っちゃったけど。また必ず。かなり我流やけど服はけっこうすき。きょうはモスグリーンのセントジェームズのボートネックに、だぼだぼのホワイトデニム。
それで、ずっと更新していなかった言葉シリーズでブログを書く。で、2本目を書いている今。マグカップのアメリカーノは冷めきっていて、なくなる寸前。
この後の予定は未定。でもスタバタイムはやりきった気分ぽい。
平成を懐古することは、もうすこし飽きてきたのでとにかく今にフォーカスします。
今、アメリカーノを飲み切りました。くちびるが乾燥してきたから、カバンの中のヴァセリンを塗って荷物を仕舞って店をでてみようと思います。
よし、4日連続?更新達成ということで。みなさん幸せな今日を。
:口づけを。4/30
毎日更新宣言3日目、よなよなカラオケに行きさっそく更新できず。
だから、昨日のぶんを書きます。
超、ちょうひさしぶりの25の言葉シリーズ。いってみよーう
ことの始まりはこちらから。
口づけだってさ〜 はずかしいね。
とりあえず私と口づけしてくださったひとたち、ありがとう。笑
あんまり「いつ」「誰と」があやふやな感じがいいと思うんですけど、まず言いたいことはファーストキスは全然よくなかった。笑
今思えば全然好きじゃなかったねん、やから案の定きもちわるいですよね。
きもちわるいからのスタートなので、私の接吻人生はその後うなぎのぼり。今ではキス大好き人間です。ていうか、みんなすきよね。
私は男性とも女性ともキスしたことあるんですけど(さらっと)、最初女の子とキスしてびっくりしたことは、まーじでいいにおい。いいにおいすぎる。しかもふわふわしてて、じょりじょりとか、ちくちくしいひんし。いいにおいの、ぬるい湯豆腐みたいな。そりゃー男の人もスケベになるわっていう。笑 変に納得した自分。男の人たちが言う、女の子やわらかいみたいなのは本当でした。
あと私の中で貴重な経験といえば、キスしてる最中にからだじゅうが、ビリビリしたこととか。電気ナマズになったみたいな。電気風呂にもぐったまんまキスしてるみたいな。自分が釜揚げしらすになったみたいな。つま先からどんどこメルトダウンしていくみたいな。あれ?私って地面やったっけ?みたいな。笑
いやなビリビリじゃなくて、じんわりあったかくて、心地よかった。それにこう、共鳴してグランディングしている感覚でした。
くちびるのかたちも、キスの仕方もそれぞれで、顔の近くにきたときのかおりとか、2人の間に流れる空気感とか、キスの瞬間は人の違いがすごく顕著にあらわになる瞬間なのかもしれないですね。
平成最後の今日は特にキスする予定はありませんが、みんな私の分までLOVEしてくださいね〜 ホナ
すこしのポジティブと
ただ感謝しておごらず、かなしまず、おだやかに1日を過ごすことはまだまだ私には難しい。杞憂したり、バッドエンドな妄想がとまらなくなったり。今日感じていることは、もう明日には忘れているかもしれないと思うと、少しかわいらしく思えてくるけど、やっぱり自分の嫌なところだなあ。一度考えだすと止まらないくせは、なかなかポジティブなことは考えてくれない。不安な想像はこんなにたくさんできるのに、ふしぎ。
きょうは感じることが多くて、頭がフヨフヨ浮いているみたい。きっと木梨憲武展のせい。ものすごいパワーやったので、ぜひ行ってください。
短いけれど、ゴールデンウイーク2日目の投稿ということで〜。
スタンド・バイ・ミー
今更ながら「スタンド・バイ・ミー」を観た。もちろんアマゾンプライムの恩恵で。
舞台がなんと3年前に行ったオレゴン州のポートランドだったし、
少年のリバー・フェニックスが最高にかっこいいし、
ストーリーもすばらしくて、安定の職場の食堂でひとりすすり泣いた。
映画の中に、
「12歳の少年のころのような友情は大人になってからは二度ともつことは出来ない」
というフレーズがある。
私の12歳のころはどんなだったかな。そんなふうにふと思いたって、字を綴ってみることにした。
それにきょう、12歳のころにいちばん一緒に過ごした、「スタンド・バイ・ミー」みたいな私の友達にとっても大きな人生の転機があったし。それはとってもすてきな出来事で、私まで幸せにしてもらったようなこと。
12歳の1年間。私の中で結構思い出に残っている。
11月に12歳になった。12月はサンタクロースの正体を美容師さんにバラされた。それでもサンタクロースはちゃんと来てくれた。
残りわずかな小学校生活、担任が病んで学校に来れなくなって悲しかった。卒業式は前日の練習から大泣きした。勉強は嫌いだったけど、きっと学校は好きだった。放課後はずーっと続く坂道を立ち漕ぎして、桜ヶ丘へ。友達の部屋でだらだらおしゃべりしたり(その間に友達はみかんを5個ぐらい食べる。それも一口で)、漫画を読みふけったり、謎に流行っていた女子十二楽坊のMDをひたすら聴いたり、中央公園で暗くなるまであそんだ。
中学からは部活が本当に大変やったことしか覚えてない。環境が変わって、友達関係にも悩んだりするようになった。父親とケンカして、プチ家出もした。その結果、自分のガラケーをゲット。中1の1年間は、小学校のころがうそみたいに孤独だった。
自分の中の孤独を初めて自覚したのかな。家族とも友達とも、関わり方がわからずよそよそしい自分だったと思う。
12歳の自分が想像もできない自分になっている。髪の毛は伸び放題でほったらかし、ピンクの服も着るようになった。あの家にもう住んでいなかったり、運動は全くしなくなってすっかり文系になってしまったことも。
まあでも12歳の自分が羨むような生活ができている気がするので、とりあえず良しとしよう。(私はとにかく幸せのハードルが低い)
12歳のころより、背負うものは増えたしいろんなものを見たり経験して本格的にオバサン臭くなってきた。公園でかくれんぼをすることも、教室の後ろでプロレスをすることももうない。キラキラ輝いて眩しくて見えなかったものが、見えるようになった。だからこそ、行動することに引き腰になった。何も考えずに飛び込んでいたプールも、今は冷たさをつま先で確認するし濡れた帰りのことまで心配するようになった。
あのころの勢いはなんだったのか。たまに昔の自分が別人のように思えてくる。
あのころの自分を羨んだりするけど、あれは紛れもない自分だった。自分だったなら、今でも体の一部にあるわけで。
だったら、やっぱり今の自分のほうがいい。あの頃の自分より、引き出しはたくさんある。
この連休は頭のクローゼットを断捨離することにする。
ただ今を感じ、ただ居心地よく楽しむ。いつだって、これに尽きると思うの。
改めて友達よ、ほんとにありがとう。あなたに出会って、人生の半分以上を共にすごし、私は幸せです。今日という日がくることを、12歳の私たちに教えてやりたいけれど、これは27歳の私たちのとっておきのおたのしみにしておこうか。
また会いにいくね。