呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

シマ2日目

早起きして浜辺を散歩したいなあ、なんて思っていたけど案の定寝坊。

宿のベットはすごくよく眠れた。アキラくんはすでに農園に仕事に行っていて、りょうへいくんはまだ寝ているみたいだった。

賞味期限がぎりぎりで家からわざわざ持ってきたグラノーラにヨーグルトをかけて食べた。それにコーヒーとたんかん。たんかんは奄美のみかんで、いよかんとオレンジのハーフみたいな味がする。

 

宿のそばにもうさわちゃんが迎えに来てくれていたので、急いで乗り込む。今日は1日晴れそうで、天気がすごくよかった。奄美の海沿いは、島が入り組んだり目の前に島があったりして波が穏やかに見えた。どこまでも海が続いている感じがあんまりないから、あたしには琵琶湖のように見えて懐かしい気持ちになった。名瀬から1時間ほどかけて、港のある古仁屋へ。車ごとフェリーで向かう予定だったけれど、レンタカー屋さんで普通車にグレードアップしていたせいで車の積み込み料金がめっちゃ高くなって焦る。急いで加計呂麻島にふたつしかないレンタカー屋さんに電話する。本当は【古仁屋ー瀬相】の便に乗るはずだったけど、最寄りのレンタカー屋さんに繋がらなかったので、【古仁屋ー生間】の便に遅らせた。結局加計呂麻島に滞在が4時間ほどになりそうだったけれど、さわちゃんも気にしている感じじゃなかったから「気があうなあ」なんて思ったりしていた。

 

フェリーまで時間ができたので近くの高知山展望台へ。らせん階段でもっと高くまで登れて、目の前の加計呂麻島の大きさにびっくり。まだ少し時間があったのでお隣の油井岳展望台にも行った。景色を楽しむなら高知山、おにぎりを食べるなら油井岳って感じかな。古仁屋に戻って、港の駅でお昼に食べた海鮮丼がすっごくおいしかった。食べるのはやっぱりさわちゃんのほうが早い。気づけばいい時間で、急いでフェリーに乗り込んだ。昨日は曇っていたからあんまりわからなかったけれど、海が本当にきれい。船着場から飛び込みたいくらいの群青だった。

 

たしか15分くらいで加計呂麻に着いたと思う。船に乗っていた人は、あたし達以外みんなシマの人だった。大きな買い物袋や花束をもって、迎えの車に乗ったりしていった。レンタカー屋さんの看板が下がっていたのは、沖縄風の古民家。家の裏に回って何度か「すいませーん!」と呼ぶと、畑の向こうからかわいいおばぁが出て来てくれた。借りるときの手続きは免許証の番号を書いて、お金を払うだけ。あとは好きな車選んで乗ってね〜といった感じ。おばぁが「あなたたちにはピンクが似合うからこれ乗りなさい」とピンクの軽自動車を勧めてくれたけど、まったくエンジンがかからない。結局隣のグレーの軽にした。きっとあのピンクの軽はずっと故障したままな気がした。

 

海沿いに道が続いていて、民家があるだけで他にはなにもない。たまに自販機を見かける程度。勾配が急な道をぐねぐねドライブした。映画の「海辺の生と死」のロケ地もあった。本当に大きなシマで、このままではドライブだけで終わってしまいそうだったので、スリ浜に車を停めて外にでた。スリ浜は寅さんが劇中で死んだところらしい。砂浜でさわちゃんとたんかんを食べながら、それぞれの今日までのこと、悩み事とかをおしゃべりした。そのあとあたしは岩場をうろうろ歩いて散策して、瞑想したりした。浜のずっと遠くにさわちゃんがいて、何もしないままぼーっとしているみたいだった。すこし強くなった潮風を浴びながら、同じようにぼんやり黄昏てみると、幸せと孤独で心がいっぱいになる。さわちゃんは何を感じていたのかな。あたしが浜に戻った後は、一緒に落ちているサンゴで浜遊びをしたりしているうちに、あっという間に帰る時間になった。船を待っている間、シマバスの運転手さんとシマの男の子が声をかけてくれた。奄美の人は本当に気さくで、スレてない感じがする。男の子は、あの魚がオジサンという名前のこと、波がない日は港までウミガメが来ることなど教えてくれた。

 

「夜は鶏飯を食べに行こう」とさわちゃんが誘ってくれたので名瀬市内に戻って、評判の居酒屋さんに入った。お言葉に甘えてあたしだけお酒を飲んだ。最後は「関西でも絶対に会おうね」とハグしてお別れした。

 

宿に戻るとりょうへいくんとアキラくんがいて、だらだらとおしゃべりをした。アキラくんは酔っていて、12時前に急に「今から屋仁川行くっ」と言ってタクシーを呼びだした。屋仁川は鹿児島で二番目に大きい繁華街で、3人でスナックを二軒はしごした。店のお姉さんに「休みはなにしてるの?」と聞いたら「何もやることがないから釣りとか」と同世代のギャルが答えるのでおもしろかった。

 

酔っ払ったアキラくんはそのまま繁華街に消えてしまったので、りょうへいくんと2人で宿に戻った。りょうへいくんがカモミールティーを淹れてくれたので、ふたりで真夜中のティータイムをして寝た。朝から活動しっぱなしの1日だった。

 

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ウミガメがやってくる加計呂麻島の港



 

 

シマ1日目

この日がやってきた。飛行機はお昼ごろ。

めずらしくパッキングは前日に済ませていたこともあって、寝坊してももはや余裕がある気持ちくらい。ぱぱっと用意を済ませて、旅行用の小銭入れにお金を移す。旅はいつもバックパックだから、ゴーヘンプのジーンズのポケットに小銭入れで済ますようにしている。出雲大社高野山奥之院、那覇のユタさんのそれぞれお札に手を合わせるのが旅行前の恒例。大阪は寒かったけれど、奄美はすでに桜が散っているらしかったので、荷物を減らすために薄着で家を出た。

 

関空に着く。チェックインカウンターで英語で話しかけられる。日本語で返した後の、あのなんとも言えない空気に誰か名前をつけてほしい。予想していたけれども、バックパックが機内持ち込みの規定をやすやすオーバー。バニラエアの無料持ち込みは7キロまで。1.5キロオーバー。惜しい。追加で2000円だと思ってたら、空港手数料でもう2000円かかった。ネットで事前申し込みをしていたら2000円で済んだらしい。悔しい。帰りは絶対ネットで事前申し込みをしようと誓った。座席は空いてたら当日窓辺に変更してもらおうと思ったけど、窓口での変更も有料だったので、仕方なく3列席の真ん中のまま。手荷物検査のとこでまた英語で話しかけられた。どこの人に見えてるんだろあたし。

 

飛行機に乗る。3列の真ん中。通路側には少し年上のお姉さん。窓辺はギリギリになっても空席だったので、「もしかして空いてる、、、?」とワクワクしていたらでかいおっさんが来た。がっくり。ところがおっさん、窓側までいくのが面倒臭かったようで「そのまま詰めてくれる?」と言ってきた。あたしは大喜びですぐ窓側に移った。でもそのせいでお姉さんがおっさんとあたしに挟まれることになってしまい、申し訳ないことをしてしまった。すぐ謝ると、お姉さんも初奄美のひとり旅だったようで、意気投合した。何も調べずに飛行機に乗っているあたし、そこで初めて奄美の移動はレンタカー必須と知る。旅を安く済ませたかったけど、ヒッチハイクはもう充分。どうしようかなーと考えていたら、お姉さんは空港でレンタカーを手配済みらしく、宿まで送ってくれることに。「こんなありがたいことはねー」としみじみしていたら、「明日は一緒に加計呂麻島に行こう!」と誘ってくれた。いつの間にやらツアーコンダクター付きの旅になってしまった。幸先よすぎ。

 

奄美に上陸。浄化の小雨で歓迎された。奄美はめちゃくちゃ雨が多いらしい。長袖シャツ一枚でちょうどいいくらいの気温。シマの人たちはダウンジャケットを着ててびっくり。

レンタカーに乗せてもらって、旅の始まり。お姉さんの名前はさわちゃん。すぐ近くのあやまる岬に連れていってくれた。降りるやいなや、大雨強風。ほとんど岬を堪能しないままさっさと移動。

つぎは奄美一の観光名所のハートロックへ。海辺の岩がきれいなハート型らしい。そのころには雨も止み、森を抜けて浜辺を歩く。そんなにきれいじゃないけど嬉しくなって裸足になった。お目当のハートロックは大波がかぶりまくっていて、どこにあるのかもわからず。浜辺であそんで早い夕飯を食べに行った。

龍郷にある島豆腐やさん。モリモリの定食に、豆腐とミキが食べ飲み放題。ミキは奄美の飲み物で、よく濾したお粥さんを甘く冷やした感じの飲み物。お墓にお供えしたりもするらしい。ふたりで「おいしいおいしい」と言いながら食べた。さわちゃんは食べるのがあたしより早くてびっくりした。あたしよりごはんが早い人はあんまりいないのだ。

その後はシマで一番大きいスーパー「ビッグⅡ」に寄って、明日の約束をして宿まで送ってもらった。

 

宿の看板の下には「奄美心霊体験治療所」という看板も付いていて、「あたしの好きなやつやん!」と嬉しくなった。あたしは見えないものが大好きなのだ。宿主のお母さんは地域の婦人会で不在だったので、お母さんが帰ってくるまで居間にお邪魔してお父さんに黒糖焼酎をいただいた。内地にもある「れんと」だったけれど。シマンチュのお父さんは若い頃は全国飛び回って仕事をしていたらしく、いろんな地域の話をしてくれた。半分くらいは方言で聞き取れなかった。宿に着いて早々に「奄美に住め」と力説されたりしているうちにお母さんが帰ってきて、宿のあれこれを教えてくれた。「奄美心霊体験治療所」もお母さんがやっているらしい。ぱっと見はシマのきれいなおばあちゃんだけれども、直感的に全てを見抜かれているように感じた。この話は後日。

 

宿の共有の娯楽室で、関西からシマに帰ってきたアキラくんと旅人のりょうへいくんに出会った。この日は満月が過ぎたばかりだったから、お風呂上がりに夜の浜辺をりょうへいくんに案内してもらって月光浴。暗くて見えなかったけど宿のある名瀬市奄美の中心地だから、海はそんなにきれいじゃないらしい。でもやっぱり海が嬉しくなって裸足で歩く。「港町の高校生ごっこみたいやねぇ」とかって話していた気がする。

 

夜がすっぽり深くなって、部屋に戻ってすぐ寝た。お母さんが用意していてくれていた布団は真冬仕様で、内地のあたしには暑過ぎたのが愛おしくておもしろかった。

 

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大波のハートロック



 

 

奄美を選んだきっかけ

三月のはじめの5日間、奄美大島へ行ってきました。

そのことを、あれこれ残しておきたいと思います。

 

そもそも、なんで奄美だったのかというと、いくつかの理由があります。

満島ひかりさんが好きだから(彼女の祖先のルーツが奄美

奄美島唄初めて聴いたとき、涙が止まらなかった

LCCのバニラエアで片道3000円キャンペーンという激安っぷり

こんな単純な理由で、行くことに。宿は市内に1泊1500円のところを見つけたので、ぜいたくに5日間にしたんです。そのほかで奄美のことについて知っていたことといえば、ビッグダディが住んでたなーってことくらい。

シマについては結局何も調べないまま、当日を迎えるのです(笑)

 

唄い手の朝崎郁恵さんの歌を聴いたとき、なんともいえない気持ちになりました。奄美は果たしてどんなところなのか、確かめたくなったのです。しばらくの間は、ずっと奄美島唄を聴いていました。

 

実家の滋賀に帰るために2月をもって、京都のホステルの仕事を辞めていました。転職活動を差し置いての旅行というわけです。仕事も決まってないのに旅行にいくなんて気がしれない、と母には大反対されました。でも反対を押し切って行くことにしたのです。内心自分も焦っていたけれど、飛行機もとってあるし、今行くべきだとなんとなく感じたから居ても立っても居られなかったのです。

 

結果、その予感は正解でした。思いもしないことがたくさん起こった5日間なのでした。

 

 

 

 

 

うれしくてさみしい日

 

 

 

今週末は生まれて初めてのことを経験した。

 

 

妹の苗字が違う苗字になった。

 

つまり、結婚した。

 

 

まだ実家にいるし、結婚式もないから実感は湧かないだけども、やっぱり感慨深いものがあるよなあ。

 

おかんはきっともっと感じるものがあるんだろう。

 

 

夏にはあたらしい家族がやって来て、あたしを叔母にしてくれるし、「生まれて初めて」が多い年になりそう。

 

 

特になにも心配してないから、あたしは笑顔で送れる。

そんな人を選んだ妹はえらい。

 

 

この先何があるかわからないし、

家族とは脆くて強いものだということを、あたし達はよく知っているほうだとおもう。

 

 

それでも、何があっても大丈夫だし、家族はいつまでも家族だから。

 

 

 

妹が家を出る日には、ささやかな門出の言葉くらい贈ってやりたいな。

あたしにはその程度しかできないから。

 

 

 

妻となり、母となっていく妹。

うちの家族はあたし以外2人とも母になったらしい。

 

 

昨日のことのようにあたまに浮かんでは消える思い出が、

これからもずっとずっと増えていく。

 

 

それを記録するのが、あたしの役目のひとつなのかもしれないね。

 

 

 

ほんとうにおめでとう。

 

 

 

 

 

 

ベランダデスクにて

こんばんは。

あんまり月が綺麗だから、部屋を真っ暗にしてベランダにパソコンを置きながら、月明かりで文字をタイプしています。

お風呂上がりの火照った身体に、冷えないように毛布を巻いて、顔だけシャキーンとしている感じ。

春の空気は澄んでいるけど、どこか気怠くて、親近感が湧く。

 

いろいろな状況の変化がありました。

まだ心が着いていくことができなかったり、うまくいかず自己嫌悪で落ち込んだり悔しがったりしています。

悔し涙が止まらなかった昨日の深夜、大切な人は「書くことをやめるな。」とあたしに教えてくれました。想定外の言葉だったけれども、「ああ、そうか」とどこかで納得したのでした。

 

誰かに向けた言葉をずっと書いていた時期もありました。(このブログの最初のほうとか)

でもそれはただ自己肯定感が欲しかっただけなのかも、と今は思います。

誰のためでもなく、今や未来の自分のために言葉を綴っていきたい。

自分がちいさく思えたこと、うまく言葉にできなかったこと、後からでもいいからちゃんと形にしてやりたい。自分が自分のことをわかってやっていれば、それでいい。

 

今日のミユと、昨日満月だったきみとのやくそく。

 

いつもいつもありがとう。

お月さんの存在は、あたしにとって何でかめちゃくちゃ大きいのです。

 

ふかいふかいよるを、今晩もてらしておくれ。

ひさしぶりのなんでもない今日

ずいぶんおひさしぶりになってしまいました。

今日は春めいた天気だけど風が冷たくてきもちいい。

この季節になると高木正勝さんばかり聴いていて、これで花粉症さえ完治すれば完璧なのになと思います。

世の花粉症のみなさん、お疲れ様です。

 

やどかりのような生活が相変わらず続いているあたしけれども、

この間奄美大島へ5日間ダラーリしに行ってきました。

とっても神秘的な体験が多かったので、ブログに残していこうと思っています。

ちなみにお世話になった宿は「やどかり荘」って言うんですよ。かわいいでしょ。

黄昏たいひとにはとってもオススメのシマ。

 

春分の日を界に、すこし気持ちが軽くなってきたかな。

なにもかも、きっと春のおかげです。

人間もそもそもは動物なんだから冬は蓄え、じっとしていたいのが本能なんだと結構本気で思います。

 

だから布団から動けなかったことも、その日その日の冬眠だと思えば。(笑)

 

 

今朝出会ったことば。

ー 自分を追求し「知りたい」と思うことこそ自分への愛 ー

 

だそうです。

確かに自分を愛そうとすることは難しいけれども、いつだってもっと自分のことを知りたいと思っているあたしがいて、それは自分に向けられた愛の一つなのでしょう。

試行錯誤も含めて、使命を全うするために潜在意識にくみこまれているのかも。

 

ぼんやり考え事をしながら、常に自分の中にスペースをつくっておきたいです。

いつだっておもしろいことにジャンプできるように。

 

今日もにこにこしていきましょう〜〜

 

 

その言葉は誰のもの

いろんな文章を読んでいると、初めて出会ったみたいじゃない文章とかたまにありません?

既視感があるというか。

「それ、あたしも思ってたことやん!」って先に表現されてしまったがっくり感があったりとか、好きな人と同じなら嬉しかったり。そんなことがあたしにはたびたびあります。

 

この間はあたしがとある人へ話した言葉そのものが、その人の言葉となっているところにソーシャル上で出会いました。その時あたしは、なんだかもやっとした気分になってしまって。なんか、勝手に盗まれたみたいな気持ちになったんですよねえ。

なんでもない会話だったのに、あたしという人間はなんて器が小さいのか(笑)時間が経てばその言葉はあたしのものでもないことに気づけるんですが、その時はモヤモヤ。

 

 

こんな出来事が教えてくれたこと、

「あたしの言葉は本当にあたしのものか???」

 

 

口や指先から出る言葉たちに名札がついているわけでもない。あたしだって誰かの言葉を「盗作」しているのかもしれないなあって。そう思うとぞっとしました。

日々読んでいる本、ソーシャル上で見かける友達や知り合いの投稿・・・・。

何気なく目を通しているうちに、人の言葉が自分を創り上げていく怖さがあると思ったのです。

あたしが生きてきた上で必要不可欠だった影響はたくさんあるし、それは絶対必要だったものたち。でも、その言葉たちに自分を侵されてはいけない。

 

何事も上達への近道は真似事だというけれど、心から湧きあがってこない言葉の真似事など自分をばかにしていると思いました。

 

理論的でも感情的でも、どちらでもなくていい。

わっと湧いた言葉だけを大切にしたい。

頭からひねり出すようなことはしたくないなあ。

 

 

そんなことをぼんやり思いながら、書いたり読んだりしています。