呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

このあいだの日記

子どものころのときのように、
南草津図書館の音楽・演劇の本棚の向かいの一人がけの椅子にすわる。
窓から空が見えて好きだった席、きょうはブラインドがしまっていた。

 

さっきまで草津でお友達親子とランチ。
ただ簡単な言葉にするならば、とってもいい時間だった。それだけ。

あの親子がとてもすてきだとあたしが感じたように、
あたしもそう思われていると母が誇らしい。


立場があっても人と人に変わりはなくて、
それを見抜く力があたしにはある。
これはあたしの強みであって母に与えてもらったもの。
そんなあたしの強みは今日も存分に発揮してくれた。

 

「最終的には必ず受け止めてくれる」

 

今後あたしがどんな人生を歩んでいようが、その言葉がほしかった。

 

言葉を選びながら、様子をうかがいながら話してくれたその心はきっと彼女が人生で色んなことを感じ取ってきたことを物語っている。

あたしの人生、あたしが見捨ててどうする。
あたしには揺るぎない覚悟がまだ用意できていなかった。
それを母は悟っている。

 

図書館の静けさの中に響く
足音、本を取り出すときの音、懐かしい音が心地いい。
スポーツや宇宙の本棚ばかり立ち止まっていたあの頃のあたしが想像していなかったほどの日々を送っている。


あの頃のようにゆっくりと歩き回り、立ち止まる本棚はどこだろうか。

✴︎無駄づかい

 

仕事で忙しい1日も、

遊びに夢中な1日も、

遠くへ出かけた非日常な1日も、

だらりとお家ですごす1日も。

 

泣けるくらい笑える1日も、

泣けるくらい嬉しい1日も、

泣けるくらい悔しい1日も、

泣けるくらいほっとした1日も、

泣くしかないような1日も、

涙が枯れてしまった1日も、

 

ただの何気ない命のくりかえし。

 

そこには時間というものだけが存在していて、

今のじぶんをすぐに置いていく。

 

残されたこれからの時間のことを

考えるくらい生きているそんな日こそ、

時間を無駄づかいすればいい。

 

無駄づかいや空虚にさえ意味を感じることができたら、

もうずっとずっと有意義なのに。

 

そこに在る命が、すでに有意義なのに。

 

 

:覚悟を。 6/12

こんにちは。

 

今日は覚悟について、です。

いまでいくつめ何でしょう。

 

ことの始まりはこちらから。

 

thanksallmiyu.hatenablog.com

 

 

最近、というかちょうど昨日、

あたしは久しぶりに覚悟を決めた出来事がありました!

 

ラップトップのパソコンを現金一括で買ったのです。。

そして、このタイピングをさっそく担ってくれているというわけ。

「どうせ買うなら」と思って少しづつ貯金をして、1ヶ月ほど前にはもう無事に欲しいパソコンを買えるだけのお金は貯まっていました。

 

ここからが長かった(笑)

 

あたしにとってはすげえ大金なのです。

それをパソコンにぱーっと使ってしまっていいのか・・・

もっと必要なものは他にないか・・・

貯金なくなっちゃうなあ・・・

親孝行もできてへんのにほしいもんばっかし・・・

ってゆうかほんまにほしかったっけ・・・?

 

みたいなことをぐるぐる考え続け、すっかり物欲とは一度距離を置いていました。

(でも心のどこかでは自分に買ってやりたかった。)

 

 

「お金は使った分だけ入ってくる」というお金持ちの名言をやたら信じて

お金を循環しまくっていたあたしにとって(笑)、初めてのまとまったお金やったのです。

旅行も買い物もたくさんしてきたけどその分前月にばり働く、みたいな極端なことばっかりしてきてたのです。アホです。

貯金が趣味な人のきもちが、少しわかったような気がします。

心に余裕が持てたような気もします。

 

 

今回そんなあたしが無事にお買い物できたことは、2つのきっかけがありました。

 

まずあたしはお月さんの満ち欠けや星座のことを気にしながら生活しています。

それでパソコンを買おう!と再び思いついたのが自分の星座の(射手座)満月だったこと。しかしそれだけでは結局覚悟できず。

2つめはともだちのフジイ君の一言でした。

「出した分だけ入ってくるから。思い入れを持った分だけ覚悟できてがんばれるよ。」みたいな。(曖昧)

 

彼の何気ない一言で あたしには自分の人生への覚悟がない ということに気づいてしまったのです。

パソコン一台でまじ大きなストーリー展開です。(笑)

そうすると自分の今後に希望を持てていない自分の存在がむかついて、

お月さんパワーにあやかって無事購入に至ったというわけ。

 

結果ものすごくざわざわしたけれど自分で自分を喜ばすことができたし、

「よーし」と心のふんどしを締めなおしたきもちです。

 

 

「おまえ、覚悟はあるのかよぉおお」みたいなよくある名ぜりふは、

意思や度胸の確認やと今までは捉えていたけど

これからは「おまえのポッケには、希望入っているのか」みたいな風に感じ取れそうです。

「覚悟」という言葉は、

どこかとがっている感じがしてびくびくしていたけど、厳しくて優しいおじいちゃんみたいな存在かもしれません。

「悟りを覚える」ってめっちゃ仙人っぽいです。

 

というわけで、

何かを乗り越えようとするときなんかは、心の仙人おじいちゃんとなかよくしたいと思います。

 

そして、

このパソコンは「おじいちゃん」と名付けてこれから共に生活しようと思います。(オチ)

 

 

 

 

✴︎おねがい

どうにかしてください。

この、どうしようもなくお節介なあたしを。

こう見えて、たまに自分でうんざりするんですよ。

あたしは、あなたの「今」を否定してしまっていないか。

 

とにもかくにも、

小心者なお節介があなたに今伝えたいこと。

 

 

●いいですか、

あなたは本当に大切で、大切なんです。

 

●あたしはあなたのことを良し悪しで判断しません。

だから、あなたの過去も今もそのまんまで大丈夫です。

あたしだって同じだから。

 

●あなたのことを嫌っている人がいたとしても、それはごく一部です。

その何十倍もの、あなたのことが大好きな人がいます。

嫌われた人より、私達を思い出してください。

 

●あなたは絶対大丈夫です。

絶対今より幸せになれます。

「自分が悪い」とゆうすぐに他人を優先するフィルターをどうか外して。

 

●無理に元気なスイッチ入らないでください。

心拍数が上がるのはよくありません。

身体に優しいことが、自分の心に優しいことです。

 

●結局人間は孤独で一人です。

自分にはいつだって自分がついていてくれるじゃないですか。

 

●過去の自分は山を乗り越えたり、失敗したり失恋に絶望したりしてきていても、今日がここにちゃんとあります。

今日までちゃんと生きてきたことを、自分くらいは褒めてやりませんか。

 

全部あなたのおかげです。

ありがとう。

 

 

✴︎いや

隣にいれへんとか、いや!
絶対、いや。

 

一緒においしいもん食べれへんとか、いや!
絶対、いや。

 

触れる距離じゃなくなるなんて、いや!
絶対、いや。

 

もう会えへんとか、いや!
絶対、いや。

 

一緒に歩けへんとか、いや!
絶対、いや。

 

声とか、触った感覚を忘れるとか、いや!
絶対、いや。

 

ふと匂いで思い出して悲しくなるとか、いや!
絶対、いや。

 

あたしだけ残されるとか、いや!
あたしだけ先行かなあかんとか、いや!
絶対、いや。

 

そんなん、、、


そんなん、絶対いやや。

 

 

なんでもない日に、そんなことを考えるあたしは寂しがりのアホです。


でも、ほんまに大好きやから、
嫌やから、
ずっとあたしより元気でいて。

 

あなたへ。

 

さよなら、ダディー

 

こんにちは。

「今日好きだから一緒にいる」という感覚はあながち間違っていなかったように思う。

というか、あたしの頭の中の時系列は【今】がたくさんあるようなイメージなのです。

【今】を自分の幸せのために選択できていれば、

一緒にいたい人といれるように出来ていると思う。

嫌い合っている同士は、きっと嫌い合う約束を生まれる前にどこかでしてから生まれてきているとしたら。。

「嫌いごっこ」みたいなね。

そんな人とのやりとりを楽しむか、

時間のムダだと思うかはあたしの自由だ。

 

 

先日おかんとアルバムを見返しました。

古いアルバムめくりありがとうって呟いてないです、すみません。

 

たくさんの写真、家族の瞬間を切り取ったその絵はほんの一瞬の、ほんの一部。

カメラを向けられた人あたしは、いい顔をしていた。

 

今は無い形の家族。

そんな写真を見てあたしは「世界文化遺産やな」とぽろっと言っていた。

何年も会っていない祖父母、そして父。

私の中ではその人たちは【過去】になっていて、過去を過去として受け入れそれに依存していないから「世界文化遺産」になったのでしょう。

 

ただ、過去として大切に思えるようになっていた。

もちろんその写真たちも「世界文化遺産」として残しておくつもり。

 

どんな人であれ、肩書きであれ、

あたしや大切な人たちを悲しませ傷つける人はいらない。

尊い命だけど、尊く無い。

あたしやあの人の人生に携わってくれるな。

あたしやあの人の命を、心を舐めるな。

毎日の心の幸せを脅かす存在と、一緒にいる必要は全くないのです。

「嫌いごっこ」だからね、自由に選べばいい。

 

ただ、この世のあたしに生を与えてくれてありがとう。

 

踏み出せる脚を、

毎月生まれ変われる子宮を、

生きる源の五臓六腑を、

抱きしめらる腕を、

感じることが許されている5つの感覚を、

強く、逞しい遺伝子を、ありがとう。

本当にありがとう。

 

あなたの役目はもう終わりました。

あなたの媒体で創り上げられたこの身体を慈しみ愛でることが、父親孝行です。

あなたの幸せを祈ったり、地獄に落ちてしまえと思う時間すらも勿体無いんです。

 

 

あたしの父親は、世界中の素敵なおじさん達です。

これが、【今】のあたしの「嫌いごっこ」の結果です。

 

 

大嫌いなお父さんだった人へ、

感謝をこめて、さようなら。

 

 

Miyu.       2016.4/26 

 

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:愛を。 5/6

愛を


人たちはほんとうに愛について、表現することが好きですよね。
もちろんあたしも含めてなんですが。

愛ちゃん、みんなに好かれすぎてすごいっす。

好かれているからといって、
美しくて綺麗なだけじゃなくて酷くて醜くかったりして。
ミステリアスでちょっとエッチな感じがして、きっと匂いが忘れられなくて。
ほんで愛ちゃんはありのままな喜怒哀楽に溢れていて、全てを良しとしていて。

でも人間やしいつでも素直な訳なくって、
なんだか誰かを思いやる嘘なんかもついてみたりして。
すべき事から目を背けたり、ていたらくな日を過ごしたり。
言えなかった一言を、後悔したり、
言いすぎたあれこれを、後悔したり。


愛ちゃんって、意外とどんくさいことの方が多いかも。
あたしみたいやん。

響きが壮大すぎてロマン溢れる高嶺の花と
見せかけてといて庶民的な愛ちゃん。
すげえ綺麗な女優さんの、好きな食べ物が「ギョーザ」とかやったときの安心感みたいな。


ジョンレノンとか、マザーテレサとか岡本太郎みたいな影響力のある人やないと「愛」という言葉は、
軽々しく使ったらあかんように思っていました。
でも意外とどんくさい行為の中にまみれている。

どんくさくて、ズボラな日々の中で愛ちゃんを見つけれたら。

自分がしてんのに、
中途半端な化粧を嫌やなあとわざわざ自己嫌悪させてもらえる時間。
自分で選んだ今日を、不安になったり後悔を感じる心。

色んなことを感じさせてもらえる、その心の声こそが
あたしは「愛ちゃん」やと思うのです。


自分が感じてるって思うより、
勝手に愛ちゃんが身体の中で言うてるって思うと、
なんかほっとする化粧中途半端なあたしです。


みんな毎日早起きしたり、せかせか頑張ってるんやから、
身体の中の愛ちゃんぐらい、
のびのび させてやりませんか。