呼吸器のようなもの

滋賀生まれ射手座。日々感じたことの備忘録。

✴︎満月に祈ること

夢中になっているわけでもないけれど、

じんわりあたたかい思いが

あたしの一部と化している。

 

あたしたちはこれからどうなるんやろうと

ネガテイブになったり自分の想像力には感心する。

 

今よりも近くにいるかもしれないし、

離れているかもしれないけれど、

あなたがあたしに もたらしてくれた影響は必ずあって

あたしはそれと 生きていく。

 

あなたの中にも「それ」があったりして、と

勝手に想像している時間は

まるで甘いパンを口に運んでいるときのよう。

 

女の妄想力は無限やな、、と考える日々。

 

どんなことがあろうと、

会えない日々がずっと続こうと、

決まっていることがひとつだけ。

 

シナリオの結末は必ず幸せになるということ。

 

あたしの幸せが あなたの幸せ、

祈ろうが 祈らまいが幸せなのです。

そんなこともわかっていながら、

自分本位にあなたの幸せを祈るよ。

その行為があたしの幸せだから。

 

都合のいい妄想はひろげたままにしております。

あなたのあの時のことなんかは、

あたしにとってとても価値のあることで、

誰でも出来ないことっていつか伝えられたら。

あなたの存在は、すごかったんだよって。

 

ただ、知っておいてほしいだけ

: 愛を。 1/25

先日更新したこの言葉たちについて。

あたしは1つずつ向き合ってみることにしました。

 

事の始まりの、詳細はこちら。

 

thanksallmiyu.hatenablog.com

 

 

ほな、早速 愛を。 について。

 

愛というものがどういうことや、どういうものを示すのかを、

今までたくさんの人たちが世に出してきていると思います。

「愛」が示すものが「素敵」と感じる人もいれば、「胡散臭い」とかそんなふうに感じる人、あたしは両方ともわかる気がする。

愛は○○を救うってゆう夏の終わりによく聞くけれど、あたしはシンプルにあの番組が嫌い(笑)

 

愛を。 だなんて十代のあたしが聞いたらけっとつぶやいていたと思う。

そんなあたしが愛について綴る日が来るなんて、誰が思っていただろう。

 

「愛」との大きな出会いをもたらしてくれたのは1冊の本でした。

それは、4年前の和歌山へ向かう特急電車で、体に電気がほとばしらせながら、食い入るように読みました。

 

アミ小さな宇宙人(エンリケ・バリオス) って本です。

 

 

宇宙人のアミが少年に愛について説いていく、とってもやさしい本です。

今までもやもやしていたことがとってもすっきり片づけられたような、清々しい気持ちになったのを今でも覚えてる。そして「愛」という言葉がより身近に、大切になった気がします。

それ以来、この本はあたしの恩人で大切な人にはやたらとプレゼントしたりしています(笑)

 

 

十代後半のあたしはもやもやしていました。

 

日記やスケジュール帳、いたるところにやたら書きまくっていた

形にする」 という一文。

読み返して自分でもびっくりするくらい、ポンポン走り書きが出てくんの。

当時のあたしは何事も能動的にしようと必死でした。それで、自分の気持ちや想いも表現しようと毎日試みてた。どんな想いを形にしたかったのか、具体的な意気込みはなくて、ただただ「形にする」くせを自分の中にインプットしていたように思います。

 

でも、

十代後半のあたしが何を形にしたかったのか、25歳のあたしならわかる気がするよ。

 

 

ただただ、

あなたが大切」 ということを伝えたかった。表現したかった。

 

 

「大切な人よ、あたしはあなたが大切よ」って気づいてほしかった。

そして、それを相手にも求めていた。少しオーバーで表面的にでもいいから。自分が形にすれば、誰かからレスポンスがあるって心のどこかで期待していた。

声にならない声はやっぱり形にできなくて、でもどうにかして自分を導いていた。

 

 

一方、

25歳のあたしはどうかというと大分、大阪のおばちゃんメンタルがついてきた。

 

あなたが好き。あなたたが大切。あなたが愛おしい。 

こんな言葉たちはフォー・ユーしても、フォー・ミーされて嬉しいんやけどやっぱり伝えることは恥ずかしい。

純粋に好きという気持ちが、どこか自分のウィークポイントを晒しているような。そんな歯がゆい気持ちになりませんか?(笑)少なくともあたしはそうなんですよね。

 

世の中は愛を囁かれたいひとの方が多いのでは・・・とういうのがあたしの考察。

 

 

だからあたしは「形にする」ことにした。 愛を。

 

 

愛を示す表現は、美しくてかわいいものだけじゃない。

怒り、嫉妬、劣等感も愛ですよね。そんな愛をあなたに感じたときは、なるべくかみ砕いて、それでいて素直に形にします。

 

「あたしはあんたが羨ましい。」 そんなことも。あるあるよね、これ。

 

自分の心から生み出されるものたちにもあたしは愛を持っていたいし、殺したくないから。

 

 

あたしは今日も誰かを羨みながら生きていく。

あたしはあたしでしかいれないことを知りながら。

 

ミユはミユなんがええんや とあの人は言ってくれる。

そんな風に言えるあなたが羨ましくて眩しいよ。

 

 

人間のすべての言動の根源は愛である らしいですよ。

あなたの過去に後悔したこと、先の不安も。守りたい何かがあるから。

 

 

なーんや、そう思ったら毎日愛だらけやん。

 

 

 

25歳児に

 

なりました。 先日の11月24日です。

 

 

誕生日の前っていまだにわくわくするんだけど、

はたしてこのわくわくはいつまで続くんでしょう。

わくわくできるってそれだけ今までお祝いしてもらってるってことよね。

 

あたしのわくわくをつくってくれているみなさん、どうもありがとう。

 

 

今年の誕生日いただいたものは、いままでよりも想いがこめられている気がします。

今までいただいたものがそうでないとか、そうじゃなくて。

 

生花をいくつかいただきました。

こんなに花束をいただくことがまだあたしにはあんまりないので嬉しくって。

みんなひとつになって瓶に活けました。毎朝お花にタッチします。

いつかいなくなる日が来ると思うと、儚いなあ。でもそれが美しさだったりもする。

 

 

ひとへメッセージを手書きで書いて、それを写真で撮ってメールしたりをよくするんだけど、それのお返しみたいにメールを送ってきてくれる人が何人かいて、それもすごく嬉しかった。

字 ってすきなんです。声は聞こえないけど、ちゃんと文字はあの人の声で喋ってる。

だからあたしも字がきれいではないけれど、想いをこめたいときは手書きです。

 

 

靴屋の母からは靴を。

あたしの足に合う、かわいいブーツを見つけてくれました。

この子にいろんな所へ連れて行ってもらうね、ありがとう。

 

とってもびっくりしたことは、誕生日をすてきな場所で過ごせたこと。

初めてことばかりで貧乏性丸出しやったけど(笑)、本当に楽しかった。

ありがとう、素直な人。

 

 

それにそれに、右耳には神さまが宿りました。川沿いの、陽だまりの中で。

それ以来すっかり右耳をさわるくせがつきました。そのたびに何かが軽くなる。

もう1人の神さまもちゃんとあたしを守ってくれているよ。

ありがとう、かわいい人。

 

 

あなた方にあたしができることってなんだって考えた。

本当に感謝を伝えたいから

あたしを通して、あなた方の心に歓びが映されるなら何かということを。

 

きっとひとによって細かくちがうこともあるんだろうけれど、

あたしが心から笑っていることが、あなた方の笑顔につながることだけは間違いなさそうです。

だって、あたしがあなた方の心からの、笑顔を見たいから。

 

だからあたしはまず自分が笑うことへストイックでいつづけよう。

本当のことも、うそのこともきお見通しなみなさんだから。

 

あたしはあたしの1日の選択権があること、

あたしにはあたしがついているということに 誇りをもって。

 

毎日死んで、毎日生まれる。

 

✴︎あふれる

 

私は愛に溢れた人と 生き

 

愛を求められる所に 行く

 

求められる所が 求めている所

 

ずっと待っていた人達へ

 

ずっと会いたかったよ。

 

やっと会えたね

 

私が やっと

 

決心したから。

 

自分を受け入れ、晒し、愛する。

 

 

11月11日

ポートランドに行っているくらいから、沢山のことを考え出してずーっとモヤモヤした日々が続いています。

 

身体は元気だし、大切な人たちにも遊んでもらっているんやけどなんか浮き足立っていて。

風船みたいに、しっかりヒモを掴まな飛んでいきそうで。「あたしはどこにいるんや」とか「何のために生まれてきたのか」とか答えのない答えを執拗に求めている自分がいます。

 

今まではそんな自分を察知したら、無意識にプラスに調整するあたしがいて。やから落ち込むのは下手かもしれないです。体育会系に身を置いてきたこともあるのかもね。もちろん、その時代も含めて今のあたしがいるから感謝なんだれけども!

 

でも今回はなるべく落ち込んだままに、自分の求めているものをしっかり聞き分けようと思ってずっとぐずぐずしています。

それでよく分かったことは、

「あれやらなきゃ」っていろいろ詰め込む方が何倍も簡単ということ。だからこうやって立ち止まってああでもない、こうでもない、って考えて吟味することを今までしてこんかったんやなと実感しています。

 

ピンときたものを選ぶことは得意だと思っていて、やから誰とご飯に行ってもメニュー決めるの超早い。欲しい物も、すぐ決まる。逆に悩む物は買わない。「あの人に会いたい」と思ったらすぐにメールをする。

 

いいとか悪いとかでなく、これがあたしの一部。でも「これがあたし」と決めている自分がいたことも気づけました。しゅばばばば!と動いていても、ぐずぐずしていても、その現象がこの世に存在しているだけであたしという存在は変わらない。

 

あとは気分を切り替える方法って沢山ありますよね。出掛けるとか、掃除をするとか。

それらのことによってうまくいくときがあたしもよくあります。でも人ってほんまに動けないときはそんなことをしようとしていること自体が、しんどくしている原因だったりして。なんてことも身をもって思いました。

 

 

「常に軽くいたい」「水でいたい」

 

ずーっと思ってたけど、そんなんやったら人間おもしろくないと自分に教えもらいました。

この停滞期でも、時間が経つようにあたしの中の水もきっとチョロチョロ流れている。

 

こうやって文字に起こせるのは、感じることのできる、こんな自分がいるから。もっと、もっと、ちっぽけになって消えてしまいたい。そこからどんなあたしが息を吹き返すんやろう。そして、こんなふうに思考を膨らましている時間が物語ることは、あたしは大丈夫ということ。

 

生きるか死ぬかみたいな、

激動の環境に身を置いていたら

こんなこと考えるひまもないんだから。

 

あたしは今日も生かされていて、感じることを許されている。なんて美しくて素晴らしいことなんでしょう。

ありがとうございました。かしこ

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優しさで包囲された日

 

この前まで2週間ほど友達2人でアメリカに行っていて。

その友達2人は家族ぐるみで昔から仲良しだから、そのファミリーごはん会にあたしも入れてもらいました。

 

何がって、優しいの、あたしを囲むもの全てが。

気づけばめちゃくちゃ穏やかな自分がいて。

 

 

〈わたしを包囲した優しい要素たち〉

・駅まで超心配になる運転で迎えに来てくれた青い車と友達

・集合住宅のなまえ 「〇〇コート」ってゆうんだけどね、そこまでは言えないから内緒

・オレンジ色の照明(昔から憧れ)

・木がベースのおしゃれで、でも飾り気のない実家感

・のんびり爪をとぐ猫2匹

・ちゃきちゃきした、かわいいママ1人

・EDMがすきなオレンジマリオのパパ1人

・マスクにゆるゆるな格好でチャリできたもう1人の友達

・遅れてやってきた茶目っ気と気遣いの塊のパパ1人

・おいしいごはんとお酒たち

 

 

「親子」や「家族」に関してあたしはまだまだコンプレックスがあるんやなと気づけた日。

 

何がって目の前で繰り広げられる親子のやりとりがあたたかくて。でもあたしには遠かった。なんか非日常に感じていた。

言葉のひとつひとつを落とさないよう聞きたくなるようなかわいいコミュニケーションで。

でもそれは彼らにしたら普通のやりとり。

 

だいすきな2人がこの世にいるきっかけとなった人たち、

気づきっこないけどあたしは感謝と喜びを眼差しで送りました。(いつか言葉にする)

 

 

結ばれて繋がって、繋がったまま生まれてきたあたしたち。

 

そんな命の営みを、美しく思った夜。

 

 

田舎のおかんには写真だけ送って報告。

「すごいきれいなお家やな〜渡る世間のセットみたい!」って返事。

あたしのおかんすぎて笑ってしまった。

 

 

おとん、もう少しわがまま待っててください。

まだ話したくないの。

やっと被害者意識から、抜け出して同じ土俵に上がった気がします。

いまはまだあなたのぐちを友達に言わせてね、あなたが思っているよりも親だと思っているからするんだよん。

 

 

 

おかんは灯油ストーブを出したんだって。

早速ストーブでトースト焼いたそう。

 

ああ、これがやっぱりうちの家やなあ。

実家を出て気づいた、冬の楽しみ。

 

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みなさんも寒さにお気をつけくださいね。ハグ